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西村栄蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

西村 栄蔵(にしむら えいぞう、元治元年(1864年)11月 - 昭和35年(1960年11月2日)は、明治期から昭和期にかけて広島市で活躍した政治家である。第20代広島市会議長を務めた。

来歴

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元治元年(1864年)11月、安芸国沼田郡横川(現在の広島県広島市西区南三篠町)において西村重太郎の長男として生まれる。明治16年(1883年)に広島監獄監守となる。その後、退官して広島河原町で瓦販売業を開業する。さらに、明治35年(1902年)3月より醤油製造業を始める。

大正2年(1913年)6月に広島市会議員に初当選し、その後昭和4年(1929年)6月までの前後4回当選する。その間の事績として、大正14年(1925年)6月より名誉職市参事会員となり、さらに昭和6年(1931年)7月より昭和8年(1933年)5月まで広島市会議長を務めている。

一方で県政についても、大正3年(1914年)2月広島市選出広島県会議員補欠選挙に当選し、その後昭和2年(1927年)9月まで4期連続当選を果たし、同年10月には市部会議長も務めている[1]

戦後は政治家活動から身を引き、昭和26年(1951年)4月末から昭和35年(1960年)までの約9年間にわたり崇徳学園理事長を務めている。昭和35年(1960年)11月2日、同職在職中に死去。なお、崇徳学園旧1号館の南側に同年10月に設けられた温室は、西村の「生徒達のためになるものを記念として遺しておきたい」という意志に沿って建てられたものであった[2]

出典

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  1. ^ 広島市役所編『新修広島市史 第7巻資料編その2』(1960年)、p556
  2. ^ 崇徳学園百二十年史編纂委員会編『崇徳学園百二十年史』(1995年、崇徳学園)、p808