無煙火薬

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無煙火薬(フィンランドVIHTAVUORI社製)
203mm自走りゅう弾砲の射撃。
無煙火薬でも白煙は発生するのが分かる

無煙火薬(むえんかやく)とは、爆発時に大量の白煙を放出する黒色火薬褐色火薬(有煙火薬)に対し、発煙低減のために開発された火薬のことである。

その基本はニトログリセリンニトロセルロースニトログアニジンの3つが基剤となる。ニトロセルロースは古くは脱脂綿などの繊維を濃硝酸と濃硫酸の混酸によりニトロ化することで製造されていた。ニトロセルロースだけを原料に用いたもの、ニトロセルロースとニトログリセリンを用いたもの、3つの物質を用いたものの3種類に大別できる。それぞれ、シングルベース火薬、ダブルベース火薬、トリプルベース火薬と称される。

無煙火薬は主に火器の発射薬(ガンパウダー)として使われ、燃焼後の灰分が減った副産物として銃砲の清掃周期が延び、また、薬室内部に滓がこびりつく頻度も減ったので、速射砲や機関銃のような自動火器の信頼性向上に大きく貢献した。

なお、誤解されがちであるが「無煙」と称されるものの完全に煙が出ないという訳ではなく、大量の煙を出す黒色火薬に比較して発煙量が少ない程度と理解する必要がある(発煙は大量の装薬を使う、火砲発射時などで顕著である)。ただし、黒色火薬と比較して発生した煙が晴れるのは早い。

歴史[編集]

ナポレオン戦争頃までの軍指揮官は、火器を発射すると出る白煙でおおわれた戦場の問題について不満を持っていた。この厄介物は風が吹けばやがて晴れるが、無風状態だと霧のように停滞していつまでも視界を妨げるからである。特に19世紀初期までは軍の命令伝達は、伝令を出して直接伝える以外、旗旒信号腕木通信などの視覚通信に依存していたため、影響は大きかったからである。

まずニトロセルロース1846年クリスチアン・シェーンバインによって発明されたが、問題が多くすぐには実用されなかった。続いて1884年に、ポール・ヴィエイユは、B火薬と呼ばれる無煙火薬を発明した。これはエーテルアルコールを混合しゼラチン化させた綿火薬から作られ、ローラーに通して薄いシート状に形成したのち、破片状に切断して使用された。

このB火薬は安定性が高く、湿気にも強いので近代的なライフル銃の弾薬として最適と判断され、フランス軍はB火薬のために8mmルベル実包と、これを用いるルベルM1886ライフル銃を開発した。

日本の陸軍卿大山巌は欧州視察の際、このB火薬をフランスより少量持ち帰った。その後、分析され試製テストを経て、1893年板橋火薬廠にて日本においての初製造が行われた。

この国産無煙火薬を初めて用いた軍用銃が1889年(明治22年)制式採用の二十二年式村田連発銃であったが、当初は帝国陸軍より無煙火薬の民間への払い下げがなかなか行われず、市井の狩猟家(主に有産階級)は高価な輸入品に頼らざるを得ない状況が続いたという。こうした事態を憂慮した大沼斗石、飯島魁らの建議により板橋火薬廠にて猟用無煙火薬としてL印猟用無煙火薬が製造販売され、後にNN印無煙火薬へと改良された。1924年(大正13年)には板橋火薬廠によりマーズ猟用無煙火薬の製造販売が開始され、翌年の公開試射会では米レミントン英エレー英語版独ワルスロード(ロットウェル)英語版ら輸入無煙火薬に比肩する性能が確認された。第二次世界大戦の勃発により板橋、岩鼻、宇治など帝国陸軍の火薬廠は民間向けの猟用火薬販売を中止、市井の狩猟家は日本油脂が1943年(昭和18年)より販売を開始したツバサ印無煙火薬にて戦中、終戦直後の狩猟を行うこととなった[1]。日本油脂は終戦直後から1949年(昭和24年)まで日産化学工業と改称し、ツバサ印無煙火薬の市場供給を続けたが、1952年(昭和27年)には旧陸軍のNN印無煙火薬の販売を再開[2]、同時期に旭化成ダイセルなども猟用無煙火薬事業に参入し現在に至っている。

1887年にイギリスでアルフレッド・ノーベルは、バリスタイト英語版と呼ばれている無煙火薬を開発した。しかし、これはコルダイトとそっくりであったため、特許侵害について長い法廷闘争が起こった。

1890年に米国で無煙火薬の特許がハドソン・マクシムによって取得された。

2007年になるとヘキサニトロヘキサアザイソウルチタンベースの無煙火薬が登場した。これは同じ体積で従来のニトロセルロースベースの物よりも30%近くも威力が高く、発砲煙や閃光も小さくなり、大幅に性能が向上している。これにより従来よりも薬莢部分の小さい弾薬が開発されている。

無煙火薬の種類[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 一般社団法人全日本狩猟倶楽部『日本狩猟百科』1973年、94-95頁
  2. ^ 日本油脂(株)『日本油脂50年史』(1988.05) - 渋沢社史データベース