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無煙火薬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
無煙火薬(フィンランドVIHTAVUORI社製)
無煙火薬を使用するオート・メラーラ76mm砲の射撃。シングルベース火薬のため、一次火炎と煙の量が若干多い。

無煙火薬(むえんかやく)とは、ニトロセルロースを主成分とし、燃焼時の発煙量が少なく、高い圧力と効率で弾丸を加速する、火器用発射薬である。

概要

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無煙火薬は、黒色火薬に比べて、燃焼時の発煙量が少なく、燃焼速度が速い、火器(銃・砲)の発射薬(ガンパウダー)として開発された。黒色火薬や褐色火薬(有煙火薬)の欠点を克服し、発射砲弾の加速効率を向上させた。高いエネルギー効率により、少ない火薬量で高い初速を実現し、大口径砲の設計では、砲身や薬室の最適化を通じて、重量軽減が可能となった。ただし、燃焼速度が速く、薬室や銃砲身に高い圧力(100~400MPa)を発生するため、高強度鋼や強化された薬室を必要とする。これにより、黒色火薬時代に比べて火器設計の革命がもたらされた。

なお、「無煙」とは、大量の煙を出す黒色火薬に比較して発煙量が少ないという意味で、燃焼には白煙を伴う。特に大量の装薬を使う大型火砲などでは多くの煙が出るが、黒色火薬と比較して発生した煙が晴れるのも早い。

ほかに無煙火薬の特徴として、燃焼後の灰分が減り、銃砲の清掃周期が延び、薬室内部に滓がこびりつく頻度も減ったので、速射砲や機関銃のような自動火器の信頼性向上に大きく貢献した。

また、発砲炎も抑制されているが、銃・砲口から出る火炎には薬室内での燃焼から出る「一次火炎」と銃・砲口から出た後で空気中の酸素と反応して出る「二次火炎」があり、二次火炎の方が輝度が大きく使用者の視界に悪影響を与えるため、これを抑制するために消炎剤を添加してある。一方、一次火炎を抑制するためには火薬自体の組成を調整する必要がある。

基本成分はニトロセルロース[注釈 1]ニトログリセリンニトログアニジンの3つが基剤となる[1]。火薬は、ニトロセルロースだけを原料に用いたもの、ニトロセルロースとニトログリセリンを用いたもの、3つの物質を用いたものの3種類に大別できる[1]。それぞれ、シングルベース火薬、ダブルベース火薬、トリプルベース火薬と称される[1]。各々は、推進性能、消炎性能、発煙量、焼食[注釈 2]抑制性能などが異なる。シングルベースは砲口炎が多く推進性能が低いものの安価で焼食が少なく、ダブルベースは推進性能は高いものの焼食が大きく、トリプルベースは砲口炎が少なく、推進性能が高く、焼食も少ないが高価となっている。

無煙火薬は、黒色火薬より、衝撃や静電気に対して敏感な(感度が高い)場合があり、取り扱いには、より注意が必要である。

防衛省規格 弾薬用語 NDS Y 0001D 及びその防衛省規格 改正票 NDS Y 0001D(1) の、番号 2097 では「多量の煙を発生する黒色火薬と対比した用語で,発煙量の少ないシングルベース発射薬,ダブルベース発射薬(又は推進薬),トリプルベース発射薬などの総称」としている[2]

歴史

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ナポレオン戦争頃までの軍指揮官は、火器を発射すると出る白煙でおおわれた戦場の問題について不満を持っていた。この厄介物は風が吹けばやがて晴れるが、無風状態だと霧のように停滞していつまでも視界を妨げるからである。特に19世紀初期までは軍の命令伝達は、伝令を出して直接伝える以外、旗旒信号腕木通信などの視覚通信に依存していたため、影響は大きかったからである。また軍服も友軍への誤射を避けるため煙の中でも目立ちやすい派手な色を使ったり、距離を誤認させるため高い帽子を採用していた。

まずニトロセルロース1846年クリスチアン・シェーンバインによって発明されたが、問題が多くすぐには実用されなかった。続いて1884年に、ポール・ヴィエイユは、B火薬と呼ばれる無煙火薬を発明した[3]。これはエーテルアルコールを混合しゼラチン化させた綿火薬から作られ、ローラーに通して薄いシート状に形成したのち、破片状に切断して使用された。B火薬は安定性が高く、湿気にも強いので近代的なライフル銃の弾薬として最適と判断され、フランス軍はB火薬のために8mmルベル実包と、これを用いるルベルM1886ライフル銃を開発した。第一次ボーア戦争ごろには無煙火薬が普及したため戦場での見通しが良くなり、派手な色の軍服は狙撃されやすくなったため目立たない色へと移行していった。

日本の陸軍卿大山巌は1884年の欧州視察の際、このB火薬をフランスより少量持ち帰った[3]。その後、陸軍によって分析され、1888年に苦心しながらも少量の無煙火薬を試製した[3]。しかし、当時の工業水準の低さや量産の必要性などから日本国外の技術を導入することとなった[3]。1891年の第2回帝国議会で無煙火薬を製造するための予算が可決され、1892年に陸軍少佐の天野富太郎が製造装置を購入するためにドイツへ向かった[4][3]1893年にB火薬用のニトロセルロースと製造装置がドイツから横浜に到着し、1894年4月に板橋火薬製造所にて製造が行われ始めた[3][5]

この国産無煙火薬を初めて用いた軍用銃が1889年(明治22年)制式採用の二十二年式村田連発銃であったが、当初は帝国陸軍より無煙火薬の民間への払い下げがなかなか行われず、市井の狩猟家(主に有産階級)は高価な輸入品に頼らざるを得ない状況が続いたという。こうした事態を憂慮した大沼斗石、飯島魁らの建議により板橋火薬廠にて猟用無煙火薬としてL印猟用無煙火薬が製造販売され、後にNN印無煙火薬へと改良された。1924年(大正13年)には板橋火薬廠によりマーズ猟用無煙火薬の製造販売が開始され、翌年の公開試射会では米レミントン英エレー英語版独ワルスロード(ロットウェル)英語版ら輸入無煙火薬に比肩する性能が確認された。第二次世界大戦の勃発により板橋、岩鼻、宇治など帝国陸軍の火薬廠は民間向けの猟用火薬販売を中止、市井の狩猟家は日本油脂が1943年(昭和18年)より販売を開始したツバサ印無煙火薬にて戦中、終戦直後の狩猟を行うこととなった[6]。日本油脂は終戦直後から1949年(昭和24年)まで日産化学工業と改称し、ツバサ印無煙火薬の市場供給を続けたが、1952年(昭和27年)には旧陸軍のNN印無煙火薬の販売を再開[7]、同時期に旭化成ダイセルなども猟用無煙火薬事業に参入し現在に至っている。

1887年にイギリスでアルフレッド・ノーベルは、バリスタイト英語版と呼ばれている無煙火薬を開発した[8]1889年にはコルダイトが開発され[8]、以降、無煙火薬の主流となった。コルダイトはバリスタイトを参考に作られたと思われ、ノーベルに秘密で特許が出願されたため、特許侵害について長い法廷闘争が起こったが、ノーベルは敗訴した[8]

1890年に米国で無煙火薬の特許がハドソン・マキシム英語版によって取得された。

無煙火薬の種類

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  • シングルベース火薬
  • ダブルベース火薬
  • トリプルベース火薬
  • マルチベース発射薬 - JIS K 4800:2000の番号12009では、「ダブルベース火薬を基材とし,結晶性高エネルギー物質,例えばニトラミン(HMXRDXなど),トリアミノグアニジンナイトレート (TAGN) などを添加した3成分以上の多成分系無煙火薬。発射薬として用いられる。」としている[9]。後の2023版でアップデートされた可能性がある。

脚注

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注釈

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  1. ニトロセルロースは古くは脱脂綿などの繊維を濃硝酸と濃硫酸の混酸によりニトロ化することで製造されていた。
  2. 火薬の燃焼により、銃・砲身内面が侵食されること。

出典

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  1. 1 2 3 警察庁保安用語辞典編集委員会 編『保安用語辞典』令文社、1982年8月1日、418頁2026年1月15日閲覧
  2. https://www.mod.go.jp/atla/nds/Y/Y0001D.pdf
  3. 1 2 3 4 5 6 中原正二「火薬人列伝(5)」『月刊JADI』第557号、日本防衛装備工業会、1993年10月1日、22–25頁、2026年1月15日閲覧
  4. 日本化学会 編『日本の化学百年史東京化学同人、1978年3月25日、138頁2026年1月15日閲覧
  5. 日本化学会 編『日本の化学百年史東京化学同人、1978年3月25日、991頁2026年1月15日閲覧
  6. 一般社団法人全日本狩猟倶楽部『日本狩猟百科』1973年、94-95頁
  7. 日本油脂(株)『日本油脂50年史』(1988.05) - 渋沢社史データベース
  8. 1 2 3 金城徳幸「ノーベルの特許係争」『SUT BULLETIN』第15巻第5号、東京理科大学出版会、1998年5月1日、42–45頁、ISSN 0289-70162026年1月15日閲覧
  9. https://kikakurui.com/k4/K4800-2000-01.html