火柱

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天文道における[2] 火柱(ひばしら)は、空中に赤気が立ち上る姿がのように見えるという怪奇現象である[3]。高さ7、8ないし数の火が地上または山上に立つという。俗に大火の前兆であるともいい[4]、火柱の立った家は、娘が人身御供に成らねばならないという[5]

火柱は『吾妻鏡』(仁治元年2月4日)[6]、『元正間記[7]、『益軒先生与宰臣書』などに記述があるが[3]、その正体については不明である。『北条九代記』には、「火柱相論条、仁治三年(二年か?)二月四日戌の刻ばかりに、赤白の気三条西方の天際に現じ、漸く消えて後に赤気の一道、その長七尺ばかりに見えて耀けり。陰陽師泰貞朝臣御所に参りて申しけるは、此天変を彗形の気と名付け、俗説に火柱と申習はす。昔村上天皇の御宇、康保年中に出現せしこと旧記に載せられ候と申す」とある[8]本朝食鑑の中には、イタチが火柱を立てるという話がある[9]高井蘭山は『訓蒙天地弁』にて、流星だろうということにしている[10]井上円了は、放火の賊が予め言い触らしていた例を報告している[11]武者金吉は、昭和6年11月4日の小国地震で目撃された火柱と、昭和13年11月2日の磐城沖地震で見られた光物の共通点を論じている[12]。海上における地震に伴う火柱や光物について、榎本祐嗣はメタンハイドレートの暴噴を主張している[13]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 気象庁 2002, p. 24.
  2. ^ 山鹿素行 1918, p. 425.
  3. ^ a b 塚本哲三 1917, p. 500.
  4. ^ 高木敏雄 1913, p. 231.
  5. ^ 高木敏雄 1913, p. 188.
  6. ^ 湯浅吉美 2012, p. 57.
  7. ^ 神田左京 1931, p. 152.
  8. ^ 福井淳 1884, p. 251.
  9. ^ 神田左京 1931, p. 119.
  10. ^ 神田左京 1931, p. 121.
  11. ^ 井上円了 1898, p. 118.
  12. ^ 武者金吉 1939, p. 341.
  13. ^ 榎本祐嗣 1999, p. 438.
  14. ^ 佐藤晃由 & K.T.Yang 2000, p. 82.
  15. ^ 浅田正 2007, pp. 28–29.
  16. ^ 鴨川仁 2007, p. 56.
  17. ^ 武者金吉 1932, p. 218.

参考文献[編集]