湛然

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湛然
711年 - 782年
尊称 妙楽大師
生地 常州晋陵県
宗派 天台宗
左渓玄朗
弟子 道邃行満
著作 『止観輔行伝弘決』

湛然(たんねん、711年 - 782年)は中国代の天台宗の僧侶。荊渓湛然(けいけい たんねん)と呼ばれ、また、妙楽大師と称された。天台宗の第6祖。

事績[編集]

俗姓は戚氏。生家は儒教を奉ずる家柄であったが、早くより仏教を志向し、17歳の時に仏教、とりわけ天台教義を修学し始めた。20歳の時に左渓玄朗に入門し、出家前にその奥義を受けた。

出家したのは、38歳の時であり、以後、更に研鑽に勤めた。天宝13年(754年)に玄朗が没すると、その継嗣として、天台宗門の再興に尽力した。当時の華厳宗法相宗禅宗など、勢いの盛んな宗派に対抗し、盛んに講筵を張り、またその一方で述作にも専心した。よって、天台中興の祖と称せられる。

門弟子には、道邃行満ら39名が数えられるが、道邃・行満の二人は、最澄に天台法門を伝えたことで知られる。

著書[編集]

ほか多数。

伝記資料[編集]

参考文献[編集]

  • 日比宣正「荊渓湛然の研究:著述の製作年次に関する考察」(1964年)
  • 池田魯参「荊渓湛然に及ぼした華厳教学の影響」(『華厳学論集』、大蔵出版, 1997年)ISBN 4804305378
  • 池麗梅著『唐代天台仏教復興運動研究序説:荊渓湛然とその『止観輔行伝弘決』』(大蔵出版、2008年)ISBN 9784804305714


師:左渓玄朗 天台宗(中国) 弟子:道邃行満