清本隆男

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清本 隆男(きよもと たかお)は日本の映画監督在日朝鮮人だったが、日本国籍を取得して帰化した[1]。別名、沢本 隆男(さわもと たかお)[1]

人物・略歴[編集]

いすゞ自動車1963年に製造・販売を開始した小型乗用車「いすゞ・ベレット」の宣伝用に製作された1964年(昭和39年)の映画『私のベレット』(脚本・監督、大島渚)では、制作主任を務めた。1969年(昭和44年)には『蒸気機関車』(34分、16mm作品)の監督を手がけている[2]。また、朝日広告社による1972年(昭和47年)の宣伝映画『マヨネーズ物語』(企画、キユーピー株式会社)でも監督を務めた[3][注釈 1]

清本が北朝鮮工作員となったのは、1970年(昭和45年)頃である[4][注釈 2]。やがて1981年(昭和56年)6月の日向事件で逮捕された北朝鮮工作員黄成国の下で工作活動を行うようになり、同年7月10日宮崎県警察によって清本自身も逮捕された[1]。同年9月30日、清本は宮崎地方裁判所延岡支部において出入国管理令違反で懲役4月、執行猶予3年の判決を受けた[4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『マヨネーズ物語』は16分、16mmのカラー作品[3]。音楽は和田誠が手がけた[3]
  2. ^ 清本は、北朝鮮からの暗号無線を受信しながら、映画監督としての立場を利用して、韓国知識人への接近や自衛隊情報の収集、モスクワポルトガル領マカオでの工作資金の受け取りなどを行っていた[4]

出典[編集]

  1. ^ a b c 荒木和博 (2019年7月12日). “昭和53年から56年にかけて起きた事件”. 調査会NEWS. 特定失踪者問題調査会. 2022年5月22日閲覧。
  2. ^ 映画の起源・鉄道映画特集”. 神戸映画資料館 (2008年2月2日). 2022年5月22日閲覧。
  3. ^ a b c 映画の教室2019”. 国立映画アーカイブ. 独立行政法人国立美術館 (2019年7月3日). 2022年5月22日閲覧。
  4. ^ a b c 『戦後のスパイ事件』(1990)pp.102-105

参考文献 [編集]

関連文献[編集]

  • 外事事件研究会『戦後の外事事件―スパイ・拉致・不正輸出』東京法令出版、2007年10月。ISBN 978-4809011474 

関連項目[編集]