海門 (スループ)
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艦歴 | |
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発注 | |
起工 | 1877年9月1日 |
進水 | 1882年8月28日 |
就役 | 1884年8月13日[1] |
その後 | 1904年7月5日触雷沈没 |
除籍 | 1905年5月21日 |
性能諸元 | |
排水量 | 常備:1,381t |
全長 | 64.31m |
全幅 | 10.8m |
吃水 | 4.9 m |
機関 | 一軸レシプロ蒸気機関、円罐4 1,250馬力 |
燃料 | 石炭200t |
最大速 | 12.0kt |
兵員 | 210名 |
兵装 | 17cm砲1門 12cm砲6門 25mm4連装ノルデンフェルド機関砲4門 11.5mm4連装ノルデンフェルド機関砲1門 |
海門(かいもん)は、大日本帝国海軍の鉄骨木皮巡洋艦である。艦名の由来は鹿児島県の開聞岳。
艦歴
進水式のときに世界で初めて鳩を飛ばしたことで有名。1882年8月28日、横須賀造船所(後の横須賀工廠)にて進水(起工から進水まで8年近くかかった)。1884年8月13日竣工。軍艦海門と命名。
1893年3月21日、三等海防艦に類別。1894年、日清戦争で威海衛攻略作戦に参加。
日露戦争中の1904年7月2日、砲艦平遠、仮装砲艦第六宇和島丸、愛媛丸とともに出撃し、小平島付近での掃海作業援護後帰投中、南三山島南南西沖で触雷[2]。4分で沈没し、艦長高橋守道中佐以下22名が戦死[3]。198名が僚艦に救助された[3]。
1905年5月21日除籍。
艦長
- 坪井航三 中佐:1883年8月16日 - 1884年2月6日
- 児玉利国 中佐:1884年5月19日 - 1886年1月6日
- 新井有貫 大佐:1886年7月14日 - 1888年6月14日
- 松永雄樹 大佐:1890年9月17日 - 1891年12月14日
- 柴山矢八 大佐:1891年12月14日 - 1893年4月20日
- (心得)桜井規矩之左右 少佐:1893年5月20日 - 1894年6月8日
- 梨羽時起 少佐:1896年4月1日 - 8月13日
- 高橋守道 中佐:1901年3月23日 - 1904年7月5日戦死
脚注
参考文献
- 『世界の艦船増刊 日本巡洋艦史』
- 雑誌『丸』編集部『写真 日本の軍艦 第5巻 重巡Ⅰ』(光人社、1989年) ISBN 4-7698-0455-5
- 真鍋重忠、『日露旅順海戦史』、吉川弘文館、1985年、ISBN 4-642-07251-9