沈嗣良

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
沈嗣良
Who's Who in China 4th ed.,(1931)
プロフィール
出生: 1896年光緒23年)
死去: 1967年
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地: 浙江省寧波府
職業: 教育者
各種表記
繁体字 沈嗣良
簡体字 沈嗣良
拼音 Shĕn Sìliáng
ラテン字 Shen Szu-liang (Shen Shi-liang)
和名表記: しん しりょう
発音転記: シャン スーリャン
テンプレートを表示

沈 嗣良(しん しりょう[1] )は中華民国スポーツ教育者。

事跡[編集]

上海聖ヨハネ大学を卒業後にアメリカに留学する。最初はオベリン大学で学び、後にコロンビア大学へ進学して教育管理を学び、修士号を取得した。1923年(民国12年)に帰国し、聖ヨハネ大学で教務長兼体育部主任を務めている。また、中華全国体育協進会総幹事にもなった。

1925年(民国14年)、フィリピンで開催された極東選手権大会(「遠東運動會」)に中国代表団を率いて参加した。また、同年から1927年まで、極東体育協会(Far Eastern Athletic Association)の名誉幹事(honorary secretary)を務めている。1927年(民国16年)、張伯苓らと協力して、極東選手権大会を上海に招致している。1936年(民国25年)、中国代表団監督としてベルリンオリンピックに参加した。

その後、上海に当時国内最大規模だった江湾体育場の建設を提唱・主導している。日中戦争期間中には、聖ヨハネ大学学長も務めた。戦後はアメリカに移住し、晩年を過ごしている。

1967年、アメリカにて死去。享年72。著書に『中華全国体育協会史略』などがある。

[編集]

  1. ^ 『最新支那要人伝』136頁は「ちん しりょう」との読みを当てている(更に言えば、同書は沈姓の人間全員に「ちん」の読みを当てている)が、これは明らかに誤り。姓としての「沈」はshĕn(同義漢字は「瀋」)、すなわち「しん」の読みが正しい。「沈」を「ちん」と読む場合には、chén(同義漢字は「沉」)でなければならない。

参考文献[編集]

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 東亜問題調査会『最新支那要人伝』朝日新聞社、1941年。 
  • Who's Who in China 4th ed.. The China Weekly Review. (1931)