汪文進

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汪 文進(おう ぶんしん、? - 590年)は、末から初にかけての人物。婺州の人。

生涯[編集]

江南は、東晋以来、刑法が寛大であり、厳格に執行されておらず、世族中国語版が寒門庶族の上にあって凌駕していた。隋が陳を平定して以降、尚書右僕射蘇威が『五教』を撰じ、江南の農民が老若男女を問わずこれを読むと、官民を問わず不平不満を抱くようになった。婺州の汪文進・越州高智慧呉州沈玄儈は、反乱を起こし、天子を自称し、百官を設けた。隋の文帝(楊堅)は、楊素行軍総管に任じ、軍を率いて討伐させた。汪文進は、蔡道人司空に任じ、楽安を守らせたが、楊素によって汪文進・蔡道人らは皆平定された。

参考文献[編集]