池田政信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

池田 政信(いけだ まさのぶ、寛永7年(1630年) - 慶安2年7月20日1649年8月8日))は、江戸時代初期の岡山藩家老

父は池田利政。母は佐久間勝之の娘雪窓院。養子は池田政言通称は信濃。

寛永7年(1630年)、父利政の知行地の伯耆国汗入郡逢坂に生まれる。寛永16年(1639年)、利政の死去により家督相続する。正保元年(1644年)、岡山東照宮造営の際に石灯籠を献じている。慶安2年(1649年)7月20日没。享年20。法名智光院功源素全大居士。同母弟の知利も寛永7年生まれとされるため、生年が寛永7年、享年20というのは誤伝と思われる。家督は藩主池田光政の次男政言が相続し、兄綱政より2万5000石を分与されて鴨方藩主となった。

脚注[編集]