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池坊専慶

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池坊 専慶(いけのぼう せんけい、生没年不詳)は、室町時代中期の京都頂法寺(六角堂)池坊僧侶華道池坊においては小野妹子の末裔であると伝承され、流祖と位置づけられる[1][2]

概要

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寛正年間(1460年~1466年)頃、あるいはやや遡った頃の人物で、この時期の史料では頂法寺の寺務を行っていた「花」の上手と記される[3]。禅僧雲泉大極が記した『碧山日録』によれば、寛正3年(1462年)、「春公(一説には鞍智高春[4])」に招かれて金瓶に草花数十枝を挿し、洛中の好事家が競って見物したという[5]

慶長4年(1599年)に京都東福寺の僧月渓聖澄が記した「百瓶華序」に池坊の元祖と書かれる[6][7]

脚注

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  1. ^ 中前 (2007), p.30
  2. ^ 小林 (2004), p.359
  3. ^ 小林 (2004), pp.356-357
  4. ^ 清水克行「ある室町幕府直臣の都市生活--『碧山日録』と「春公」についてのノート」『東京大学史料編纂所研究紀要』(2002年)によると、「春公」は鞍智高春。
  5. ^ 中前 (2007), pp.27-28
  6. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 88頁。
  7. ^ 小林 (2004), pp.358-359

参考文献

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  • 中前正志「六角堂縁起と池坊いけばな縁起 : 古代寺院縁起の近世近現代的展開」『女子大國文』第141号、京都女子大学国文学会、2007年9月30日、1-73頁、ISSN 02859823hdl:11173/640 
  • 小林善帆「<研究ノート>生成期における「たて花」 : 十五世紀中期の「花」と連歌の一要素」『日本研究』第29巻、国際日本文化研究センター、2004年12月27日、343-371頁、doi:10.15055/00000649ISSN 09150900