永松健夫
永松 健夫 | |
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本名 | 永松 武雄 |
生誕 |
1912年(明治45年)![]() |
死没 | 1961年(昭和36年)49歳没 |
職業 | 紙芝居作家・絵物語作家 |
代表作 |
『黄金バット』 『アトム騎士』 |
永松 健夫(ながまつ たけお、本名:永松 武雄、1912年(明治45年)3月1日 - 1961年(昭和36年)11月17日)は、日本の紙芝居作家・絵物語作家。『黄金バット』の造形を生み出したことで有名。
来歴[編集]
大分県出身。戦前は紙芝居作家として活動し、1930年(昭和5年)、鈴木一郎脚本の紙芝居『黒バット』内で初めて黄金バットの絵を描く。戦後には主に少年雑誌向けの絵物語を執筆。田代寛哉(田代かんや)の妹と結婚する。この結婚で、のちの人形劇団プーク代表曽根喜一(小曽根喜一)の妻で作家の田代巴(田代ともえ)が義理の妹になる[1]。1961年(昭和36年)、胃癌で死去。
エピソード[編集]
上京後は足立区島根町に暮らし、北野家の近所だったと、北野大が自伝に記している。
主な作品[編集]

- 黄金バット
- アトム騎士
- 花も嵐も
関連項目[編集]
脚注[編集]
- ^ 曽根喜一『戦後人形劇風雲録』晩成書房、1998年、p.103-104