永井直温
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 延享4年(1747年) |
死没 | 寛政7年3月20日(1795年5月8日) |
別名 | 伝八郎、大膳(通称) |
戒名 | 仁峯道智本源院 |
墓所 | 京都府宇治市の興聖寺 (宇治市) |
官位 | 従五位下、信濃守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 大和新庄藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 | 父:永井直国、母:北条氏貞の娘 |
兄弟 | 直孝、直温、直道、高井実輝、前田定賢 |
妻 | 正室:永井直期の娘 |
子 |
直方、直柄(次男)、直景(三男)、 娘(松浦矩正室)、娘(本庄道昌正室)、 娘(永井直高室)、娘(室賀正美正室)、娘 |
永井 直温(ながい なおあつ)は、江戸時代中期から後期の大名。大和新庄藩の第4代藩主。永井家宗家8代。
延享4年(1747年)、第3代藩主永井直国の次男として生まれる。長兄の直孝が早世したため、宝暦12年(1762年)9月8日に世子となり、明和2年(1765年)、父の死去で家督を継いだ。半蔵門番、日光祭祀奉行、竹橋口門番、二条城在番、大坂城加番代、京橋口定番などを歴任する。藩政においては領民に増税を強いるなど悪政を敷いたという。
寛政7年(1795年)3月20日に死去した。享年49。跡を長男の直方が継いだ。