毛利千満丸
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時代 | 安土桃山時代 |
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生誕 | 天正11年(1583年) |
死没 | 天正13年(1585年) |
主君 | 毛利輝元 |
氏族 | 大江姓毛利氏 |
父母 | 父:毛利元秋 |
毛利 千満丸(もうり せんまんまる)は、安土桃山時代の人物。毛利元就の五男である毛利元秋の庶子。
生涯[編集]
天正13年(1585年)5月5日に父・元秋が死去すると、元秋付きの家臣であった蜷川秋秀は、元秋には庶子である千満丸がいることを輝元に言上し、赤川就武と共に千満丸に仕えた。しかし、千満丸は間もなく疱瘡によって3歳で死去した。
千満丸の死去により、元秋の同母弟である末次元康が元秋の後を継いで月山富田城に入った。
参考文献[編集]
- 『萩藩閥閲録』巻57「蜷川権左衛門」