橘ノ圓 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
初代 橘ノ 圓たちばなの まどか
本名 五十嵐 銀次郎
生年月日 1868年
没年月日 1935年6月29日
出身地 日本の旗 日本
死没地 京都
師匠 初代三遊亭圓朝
3代目柳家小さん
弟子 橘ノ圓 (初代)#弟子
名跡 1. 三遊亭朝二
2. 2代目橘家圓三郎
3. 初代橘ノ圓
4. 柳家圓
5. 初代橘ノ圓
活動期間 ? - 1935年
活動内容 古典落語
寄席踊り
配偶者 初代立花家橘之助
家族 2代目三遊亭圓馬(兄)
所属 三遊派
圓頂派
柳派
三友派
浪花落語反対派
主な作品
子は鎹
『三味線栗毛』
備考
墓所:神楽坂の清隆寺
法名:清浄院橘圓日香居士

初代橘ノ 圓(たちばなの まどか、1868年 - 1935年6月29日)は、落語家。本名、五十嵐銀次郎。兄は2代目三遊亭圓馬

生涯[編集]

11歳の時、初代三遊亭圓朝門下となり、朝二(または朝治、圓治)を経て、2代目橘家圓三郎となる。1891年、師圓朝の寄席引退に同調した兄圓馬の上方巡業に同行し、そのまま兄弟共に大阪に定住、師の年忌のほかは江戸に戻ることはなかった。1906年、師圓朝の7回忌の時に「圓頂派」を結成し、橘ノ圓を名乗る。一門は全て坊主頭といった出立ちで、主に神戸を中心に高座に上がり、巡業にも良く出た。1910年に帰京し、3代目柳家小さん門下となり柳家圓を名乗るが、間もなく大阪へ戻り、橘ノ圓に復す。大阪では三友派に属していたが、後に5代目橘家圓太郎らと共に浪花落語反対派に移る。

子は鎹』『三味線栗毛』などが十八番であった。また踊りも良くし、50歳を越して圓朝一門で音曲師の初代立花家橘之助と結婚。兄に似て人格者で、いつも身仕舞い正しく、賭博は一切嗜まなかったという。

晩年は名古屋市中区を経て、1935年6月10日京都市上京区に住まいを移すが、そのわずか19日後、北野天満宮そばの紙屋川の氾濫で自宅が流され、妻と共に水死。享年66。墓所は神楽坂の清隆寺。法名:清浄院橘圓日香居士。

弟子[編集]

弟子に橘ノ圓都橘ノ圓天坊、橘ノ百圓(後の7代目橘家圓太郎)、桂團丸初代桂小春團治らがいる。