橋本清香

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はしもと きよか
橋本清香
生年月日 1985年4月
出生地 兵庫県神戸市東灘区
国籍 日本の旗 日本
職業 バレリーナ、バレエダンサー
活動期間 2004年 - 現在
配偶者 木本全優
主な作品

ヌレエフ版『白鳥の湖』のオデット/オディール
ヌレエフ版『ドン・キホーテ』のキトリ
ヌレエフ版『くるみ割り人形』のクララ
ラコット版『ラ・シルフィード』のエフィ
マクミラン振付『マイヤリング(うたかたの恋)』のステファニー王女
ランダー振付『エチュード』
バランシン振付『フー・ケアーズ?』
リファール振付『白の組曲』
ノイマイヤー振付『バッハ組曲III』
ロビンズ振付『アザー・ダンシズ』
ルグリ振付『ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ』

ブベニチェク振付『ル・スフレ・ドゥ・エスプリ』
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橋本 清香(はしもと きよか、1985年4月 - )は、日本バレリーナ

兵庫県神戸市東灘区出身。2016年3月23日、ウィーン国立バレエ団の最高位である第1ソリストに日本人として初就任した[1]。ヨーロッパ各地やアジア、日本での公演も多く世界中で活躍している。

経歴[編集]

1985年(昭和60年)4月生まれ。

1991年(平成3年)、6歳より山口けい子バレエスクールでバレエを始めた[2]

1994年(平成6年)、9歳より泉バレエ教室、ISバレエアカデミアで学ぶ[2]

1995年(平成7年)1月17日阪神・淡路大震災により自宅は全壊。当時、小学3年生。 たんすの下敷きになったが、「扉が開き、その中に母と潜る形で奇跡的に助かった」。兵庫県宝塚市にあるバレエ教室だけは無事で、同県西宮市の祖父母宅に身を寄せながらバレエに専念。震災がバレエの道に本格的に入るきっかけとなったと、後に語っている[3]

2001年(平成13年)、高校1年のときにフランス・カンヌ・ロゼラハイタワー(Ecole Superieure de Danse de Cannes-Mougins ROSELLA HIGHTOWER)に留学し、モニク・ルディエール師事。木本全優と出会う[4]

2004年(平成16年)に独ドレスデン国立歌劇場バレエ団に入団。入団当時の芸術監督はウラジーミル・デレビヤンコ。2006年に芸術監督がアーロン・S・ワトキンに変わった。

2008年(平成20年)に木本全優とウィーン国立バレエ団へ移籍。

2010年(平成22年)にハーフソリストに昇格。

2012年(平成24年)にヌレエフ版『くるみ割り人形』初主演後、ソリストに昇格。 8月、同バレエ団の木本全優と結婚。

2016年(平成28年)3月23日、第1ソリストに就任。ウィーン国立バレエ団の最高位へと上り詰めた。日本人初の快挙。

本番2週間前に舞台『海賊』での主演が決定し、主役(メドゥーラ役)と準主役(ギュリナーラ役)の2役を踊りきった舞台成果が認められ、主演直後の舞台上で芸術監督のマニュエル・ルグリからウィーン国立バレエ団の最高位である第1ソリスト昇格を告げられた。

レパートリー[編集]

  • ヌレエフ版『白鳥の湖』のオデット/オディール
  • ヌレエフ版『ドン・キホーテ』のキトリ
  • ヌレエフ版『くるみ割り人形』のクララ
  • ラコット版『ラ・シルフィード』のエフィ
  • マクミラン振付『マイヤリング(うたかたの恋)』のステファニー王女
  • ランダー振付『エチュード』
  • バランシン振付『フー・ケアーズ?』
  • リファール振付『白の組曲』
  • ノイマイヤー振付『バッハ組曲III』
  • ロビンズ振付『アザー・ダンシズ』
  • ルグリ振付『ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ』
  • ブベニチェク振付『ル・スフレ・ドゥ・エスプリ』

出典[編集]

  1. ^ 橋本清香さん、ウィーン歌劇場バレエ団第1ソリストに”. 産経ニュース. 2016年3月24日閲覧。
  2. ^ a b ウィーン国立バレエ ソリスト 橋本清香”. 黒川哲也オーチャードホール芸術監督presents オーチャード・バレエ・ガラ JAPANESE DANCERS. 2015年8月1日閲覧。
  3. ^ 日本人初の第1ソリスト橋本さん 震災も不遇もプラスに”. 産経WEST. 2016年5月14日閲覧。
  4. ^ NHKクラシック音楽館、NHKバレエの饗宴2013(5月19日放映より)

外部リンク[編集]