榎本次郎右衛門 (1876年生)
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15代 榎本 次郎右衛門(えのもと じろううえもん、1876年(明治9年)4月13日[1] - 1926年(大正15年)5月11日[2])は、明治時代後期から大正時代の政治家。衆議院議員(1期)。
経歴
[編集]先代榎本次郎右衛門の子として千葉県相馬郡布佐村(東葛飾郡布佐町、我孫子町を経て現在の我孫子市)に生まれる[1]。小学校、中学校を経て、東京法学院を卒業し、家業の農業を手伝う[1]。布佐町会議員を経て、同町長を4年務め、東葛飾郡会議員、千葉県会議員などを歴任する[1]。ほか、会社、銀行の重役を務めた[2]。
1915年(大正4年)3月の第12回衆議院議員総選挙では千葉県郡部から憲政会所属で出馬し当選[2]。1期務めた[2]。
親族
[編集]- 父:14代 榎本次郎右衛門(衆議院議員)
脚注
[編集]- ^ a b c d ルーブル社出版部 1922, 22頁.
- ^ a b c d 衆議院、参議院 編 1962, 81頁.
参考文献
[編集]- ルーブル社出版部 編『大日本人物名鑑 巻4の2』ルーブル社出版部、1922年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。