楽焼白片身変茶碗

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楽焼白片身変茶碗
銘「不二山」
不二山[1]
材質陶器[2]
寸法高さ 8.9 cm口径 11.6 cm、高台 5.5 cm[2][3]
製作17世紀江戸時代[2]
所蔵サンリツ服部美術館長野県諏訪市[4]
高台[1]
の掛かった富士山
楽焼白片身変茶碗を収蔵するサンリツ服部美術館

楽焼白片身変茶碗(らくやきしろかたみがわりちゃわん)は、日本国宝楽焼茶碗で、銘は不二山(ふじさん)。17世紀江戸時代)、本阿弥光悦の作。別名に振袖茶碗(ふりそでちゃわん)がある。

作品[編集]

本作は楽焼の中でも白釉を用いた白楽(しろらく)と呼ばれるもので、年代は17世紀(江戸時代)、大きさは高さが8.9センチメートル口径が11.6センチメートル、高台が5.5センチメートルである[2][3][5][6]。素地は荒いが混じった白土で[4]、始めに「手捏ね」(てづくね)で成形し、へらを使って側面を縦に削って整形[2]。その後、透明性低火度の白釉を厚く掛けて焼成を行ったが、偶然にもの中で茶碗の下半分が内側・外側ともに炭化し、色(暗灰色)に変色した[4][2]。内側の一部には鉛釉が変化を起こしたことによる銀化も見られる[2]

本作の制作者である本阿弥光悦は、刀剣鑑定を本業とする傍ら陶芸にも秀で[2]、彼の作る茶碗を欲しがる者も多くいたが、容易に作ることはしなかった[6]。彼の作品は10点ほどが現存し、その中でも本作は一番の作と言われ名高い[2]。光悦が娘を大阪に嫁がせた際、支度の代わりにと本作を精魂込めて制作した[2]。持参する際、振袖に包んだことから振袖茶碗とも呼ばれており、その切れ端も現存している[2]

箱には「不二山 大虚菴」と記されている[2]。大虚菴とは光悦の号で[2]、『原色陶器大辞典』のように大虚と表記している文献もある[6]。この箱書は光悦の自筆によるものであり、光悦の(角黒印)が押されてある[6]。制作者が自ら箱書をしたものを共箱(ともばこ)というが、これは日本の陶芸史上初の試みである[2]。「不二山」という銘の由来については、その風情の掛かった富士山に見立てたとする説(金森得水)、あるいはこれ以上ない出来映えを自慢したかったとする説(草間和楽)がある[6]

天保9年(1838年)の日付の譲り状が箱に貼付されており、比喜多権兵衛により高原治兵衛・井上源三郎を経て、姫路藩藩主・酒井忠学の手に渡り、以後近年まで酒井家に伝わった[4][2]1952年昭和27年)11月22日付けで国宝に指定[4]。和物の茶碗で国宝の指定を受けたものは他に志野茶碗 銘卯花墻があるのみである[2]。現在は長野県諏訪市にあるサンリツ服部美術館に収蔵されている[4]。同館では本作を白楽茶碗(しろらくちゃわん)とも称し[2]、常設展示はせず[7]、企画展にて展示を行っている[8]

脚注[編集]

  1. ^ a b 画像は『大正名器鑑』(国立国会図書館蔵)より。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『サンリツ服部美術館所蔵 名品聚』10 - 12ページ。
  3. ^ a b 本作の寸法について、「国指定文化財等データベース」には「高8.5 口径11.5 (㎝)」(引用)とある(2014年5月4日閲覧)。
  4. ^ a b c d e f 国指定文化財等データベース」より(2014年5月4日閲覧)。
  5. ^ 『原色陶器大辞典』487ページ。
  6. ^ a b c d e 『原色陶器大辞典』843ページ。
  7. ^ サンリツ服部美術館「収蔵品のご紹介」より(2014年5月4日閲覧)。
  8. ^ サンリツ服部美術館「2014年度の企画展スケジュール」も参照。

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]