柳亭芝楽 (10代目)
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十代目 | |
本名 | |
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別名 | 西川可女蔵 |
生年月日 | 1933年5月10日 |
没年月日 | 1995年1月17日(61歳没) |
出身地 | 日本・北海道小樽市 |
死没地 | 日本・東京都葛飾区 |
師匠 | 三代目春風亭柳好 六代目春風亭柳橋 |
名跡 | 1. 春風亭小柳好 (1946年 - 1949年) 2. 春風亭好燕 (1949年 - 1951年) 3. 春風亭小柳 (1951年 - 1967年) 4. 十代目柳亭芝楽 (1967年 - 1995年) |
出囃子 | 海上はるかに |
活動期間 | 1946年 - 1995年 |
配偶者 | あり |
所属 | 日本芸術協会 →落語芸術協会 |
受賞歴 | |
1985年∶文化庁芸術祭賞受賞 | |
十代目 柳亭 芝楽(りゅうてい しばらく、1933年5月10日 - 1995年1月17日[1])は、落語家。本名:茨木 勢三[1]。出囃子∶『海上遥かに』。
経歴
[編集]小樽出身で埼玉県浦和市(現さいたま市)育ち。6歳のとき麻疹による高熱で吃音となる。吃りの克服のため杵屋勝長次の元で長唄を習う。また、勝長次の知人である三代目春風亭柳好に内弟子として入門する。中学二年のとき「柳好納涼落語会」で初高座。演目は「雑俳」。
開成中学校を卒業した後の1946年10月に三代目春風亭柳好に正式に入門し、小柳好の名をもらう。1949年に名を好燕と改め、日本芸術協会(現:落語芸術協会)入り。1951年10月、二ツ目で春風亭小柳となる。1956年、師匠・柳好の死去に伴い、六代目春風亭柳橋門下へ移る。1967年4月、真打となり十代目柳亭芝楽を襲名[1]。
1985年、文化庁芸術祭賞受賞。1995年1月17日午後7時27分、肺癌のため東京都葛飾区の病院で死去、62歳[1]。葬儀と告別式は足立区で行われ喪主は長男が務めた[1]。
芸歴
[編集]- 1946年10月∶三代目春風亭柳好に入門、小柳好となる。
- 1949年∶好燕と改名、日本芸術協会に入会。
- 1951年10月∶二ツ目昇進、春風亭小柳と改名。
- 1956年∶師匠・柳好の死去に伴い、六代目春風亭柳橋門下へ移籍。
- 1967年4月∶真打昇進、十代目柳亭芝楽を襲名。
- 1995年1月∶死去。
人物
[編集]『野ざらし』『がまの油』を得意とした。日本舞踊の名取「西川可女蔵」として、弟子を多く取った。また踊りでは操り人形振りや片足踊りなどの珍芸も得意とした。
音源も多数残されている。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- 『古今東西落語家事典』(諸芸懇話会・大阪芸能懇話会共編、平凡社、ISBN 458212612X)