柏木源藤

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柏木源藤
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 天正7年(1579年[1]
死没 不明
戒名 武山丈心居士
墓所 鹿児島県鹿児島市南林寺
主君 川上忠兄
氏族 柏木氏出石氏

柏木 源藤(かしわぎ げんとう / もとひさ[2])は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将島津氏の陪臣。川上忠兄被官。後に出石氏を名乗る。一部史料にある柏田源蔵は誤り。

略歴[編集]

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで、西軍に属した島津義弘の許へ主君・忠兄に同行し参陣した。その退却戦(島津の退き口)の際に東軍の井伊直政勢100騎が追撃して来たところを、源藤は藪の中から鉄砲で直政を狙撃して落馬させる大功を上げた[3]。源藤は無事に薩摩国へ戻り、義弘の隠居所のある加治木[4]に住んだが、その後は逼迫して町人になった上に、子孫も断絶したと『本藩人物誌』にある[5]

『旧南林寺由緒墓志』によると、自らが狙撃した直政の死を知り、その弔いの為に墨染の法衣を纏い、回国修行に出たが帰らぬままとなり、死去した地も分からないという[1]

明和6年(1769年)に建立された墓が、鹿児島の南林寺にある。

脚注[編集]

  1. ^ a b 桐野作人著 『さつま人国誌 戦国・近世編』(南日本新聞社
  2. ^ 『野望! 武将たちの関ヶ原』(新人物往来社ISBN 978-4-404-03612-4 では「げんとう」、『裂帛 島津戦記』(学習研究社ISBN 4-05-602595-9 では「もとひさ」としている
  3. ^ 直政はこのときの傷が癒えず、慶長7年(1602年)に死去。
  4. ^ 現・鹿児島県姶良市加治木町。
  5. ^ 『本藩人物誌』には、忠兄流川上氏の家人に子孫だという者があるが、真実であるかは分からないともある。

出典[編集]