枢機卿フアン・パルド・デ・タベーラの肖像

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『枢機卿フアン・パルド・デ・タベーラの肖像』
スペイン語: Retrato del cardenal Tavera
英語: Portrait of Juan Pardo de Tavera
作者エル・グレコ
製作年1609年
種類キャンバス上に油彩
寸法102 cm × 81 cm (40 in × 32 in)
所蔵タベーラ施療院トレド

枢機卿フアン・パルド・デ・タベーラの肖像』(すうききょうフアン・パルド・デ・タベーラのしょうぞう、西: Retrato del cardenal Tavera: Portrait of Cardinal Juan Pardo de Tavera)は、クレタ島出身のマニエリスムスペインの巨匠エル・グレコが1609年にキャンバス上に油彩で制作した絵画である。現在、フアン・パルド・デ・タベーラ英語版 (1472-1545年) が設立したトレドタベーラ施療院に所蔵されている[1][2]。この肖像画は、枢機卿タベーラが亡くなった1545年よりずっと後になって描かれたものである[1][2]。したがって、エル・グレコは、おそらく画家アロンソ・ベルゲーテによるデスマスクにもとづいてタベーラの顔を造形した[1]

作品[編集]

枢機卿フアン・パルド・デ・タベーラは、カール5世 (神聖ローマ皇帝) 治世化のスペインにおける最も傑出した人物の1人であった[1][2]。彼はサンティアゴ・デ・コンポステーラとトレドの大司教を務めた後、1534年にはスペインの首都大司教となり、また異端審問官カスティーリャ王室会議の議長を務めるなど、スペインの宗教界の頂点を極めた。また、彼は人文主義者、外交官、芸術の庇護者としても知られ、トレドにスペイン・ルネサンスの代表的建築であるタベーラ施療院 (正式名称は「洗礼者ヨハネ施療院」) を設立した[1][2]。タベーラは1545年に73歳で亡くなった[1]

エル・グレコとタベーラ施療院の関係は1595年に始まっていたが、大きな仕事は1608年に施療院の責任者で、エル・グレコの友人かつ庇護者であったペドロ・サラサール・デ・メンドーサから依頼された礼拝堂祭壇衝立の制作であった (メトロポリタン美術館の『黙示録第5の封印』とタベーラ施療院の『キリストの洗礼』を参照) [1]

本作は、サラサールが没した1628年の財産目録に記載されており、おそらくエル・グレコが祭壇衝立に関する契約を結んだころにサラサールから本作も依頼されたのではないかと想像される[1]。サラサールは、『枢機卿フアン・タベーラの年代記』 (1603年) の中で以下のように述べている。「枢機卿フアン・デ・タベーラは、自分の肖像作品が作られることに関しては、たとえ多くの勇気ある画家や彫刻家、特に当時名声を誇っていたアロンソ・ベルゲーテがそれを試みようとも、やはり大変控え目であった。トレド大聖堂に置かれている肖像彫刻や、そのほかタベーラ施療院にある諸作品は、ベルゲーテの命令によって、もしくは彼自身の手によって、枢機卿の死後作られたものである」[1]

サラサールの述べているように、フアン・デ・タベーラを写実的に描いた作品は少なく、現存する作品はほとんどすべて、今もタベーラ施療院に残るデスマスクをモデルにしたといわれる[1]。研究者コッシオ (Cossio) は、エル・グレコもこのマスクを利用したとみなしている。枢機卿の無表情で不気味な容貌はその可能性を十分にうかがわせる[1]

絵画はスペイン市民戦争中に切り裂かれ、その後の修復の際に画面右下にあった画家の署名が失われた[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 国立西洋美術館 1986, p. 207.
  2. ^ a b c d Portrait of Cardinal Tavera”. Web Gallery of Artサイト (英語). 2023年12月20日閲覧。

参考文献[編集]

  • 国立西洋美術館 編『エル・グレコ展』東京新聞、1986年。全国書誌番号:87040916 
  • ÁLVAREZ LOPERA, José, El Greco, Madrid, Arlanza, 2005, Biblioteca «Descubrir el Arte», (colección «Grandes maestros»). ISBN 84-95503-44-1.
  • SCHOLZ-HÄNSEL, Michael, El Greco, Colonia, Taschen, 2003. ISBN 978-3-8228-3173-1ISBN 978-3-8228-3173-1.

外部リンク[編集]