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林 鳳谷 (はやし ほうこく、享保6年(1721年) - 安永2年12月11日(1774年1月22日))は、江戸時代中期の朱子学派儒学者。林榴岡(りゅうこう)の子。林家5代。林鳳池(ほうち)の兄。名は信武、のち信言。
将軍徳川吉宗に仕える。延享4年(1747年)、朝鮮通信使応接御用を務め、従五位下図書頭(ずしょのかみ)となる。宝暦8年(1758年)家督を継いで林家5代となり、大学頭となった。
子の林龍潭(りゅうたん)は早世したため、孫の林鳳潭(ほうたん)が林家を継いだ。
林氏第5代当主(1758年-1774年) | |
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大学頭家 | |
第二林家 |
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