松竹音楽舞踊学校

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松竹音楽舞踊学校(しょうちくおんがくぶようがっこう)は、かつて存在した学校で、松竹歌劇団(SKD)の劇団員養成機関。1992年(平成4年)に廃校[1]。なお「松竹音楽"舞踏"学校」とよく誤記される[1]

概要[編集]

予科・本科・研究科の3年制だったが、後に2年制に変更された。毎年2月頃に試験があった。

1950年代には宝塚歌劇団よりも収入等の面で劇団員の待遇が良く、学費無料に加え受験制限も緩やかなものだったため[2]、約20-30倍という極めて高い倍率を誇った。1952年(昭和27年)は58名の合格者に対し1850名の受験者がいた[3]

歴史[編集]

1933年(昭和8年)、松竹少女歌劇団の劇団員養成機関として新設。設立当初の校名は松竹少女歌劇学校1950年(昭和25年)に松竹音楽舞踊学校に改称した。

SKD入団に当たり試験があり、1960年(昭和35年)の倍賞千恵子以降、毎年の首席入団者は「東京踊り」で鼓笛隊の指揮者(バトンガール)の座を与えられるようになった。

1963年(昭和38年)からはSKDの声楽を強化するため、3年制の声楽科と1年制の特別声楽科が設けられた[4]。やがて衰退し、1972年(昭和47年)には志願者がはじめて100人を割り込んだ(公称90人だが、もっと少なかったとされる)[5]

1990年(平成2年)でSKDはレビュー公演を取りやめ、ミュージカル劇団への再編をはかるため組織を一新した。これにともない、舞踊学校も1992年(平成4年)に廃校となった。

脚注[編集]

  1. ^ a b 1992年5月19日 読売新聞「SKD関連学校の廃止など答申/都私立学校審議会」
  2. ^ 当時の舞踊学校の修業年限が3年であったのに対し、宝塚音楽学校が1年で舞踏・音楽の基礎訓練を受けたものという条件があった
  3. ^ 1952年11月21日 読売新聞「“少女歌劇”の生態」
  4. ^ 1962年11月20日 読売新聞「SKDの声楽強化へ 音楽舞踊学校に特別専科」
  5. ^ 橋本与志夫『日劇レビュー史』(三一書房)、1997年4月発行、P425

関連項目[編集]