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東正彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
東 正彦
生誕 1874年6月22日
日本の旗 日本 島根県
死没 没年不明
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1895年 - 1921年
最終階級 陸軍少将
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東 正彦(ひがし まさひこ、1874年明治7年〉6月22日 - 没年不明[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将功四級[2]

経歴・人物

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島根県出身[1][2]1895年(明治28年)陸軍士官学校第6期卒業[1][2]1902年(明治35年)陸軍大学校第16期卒業[1][2]

満州軍総司令部参謀として日露戦争に従軍する[1][2]

1912年(明治45年)6月に弘前連隊区司令官、1914年大正3年)5月に陸軍歩兵大佐、同年8月に歩兵第12連隊長、1916年(大正5年)4月に第18師団参謀長を経て、1918年(大正7年)7月に陸軍少将・歩兵第37旅団長に任官[1][2]1920年(大正9年)間島事件が勃発すると10月に旅団長として出動し、同年12月に帰還する[1][2]

翌年の1921年(大正10年)7月に待命、同年11月に予備役に編入した[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[3]

栄典

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍将官辞典』300頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』123頁。
  3. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」22頁。
  4. ^ 『官報』第3717号「叙任及辞令」1895年11月16日。
  5. ^ 『官報』第4341号「叙任及辞令」1897年12月18日。

参考文献

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  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。