李恵宗
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李 恵宗 | |
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李朝 | |
8代皇帝 | |
国号 | 大越 |
王朝 | 李朝 |
在位期間 | 1211年 - 1224年 |
都城 | 昇龍(タンロン、現ハノイ) |
姓・諱 | 李旵 |
廟号 | 恵宗 |
生年 | 1194年 |
没年 | 1226年9月3日 |
父 | 高宗 |
母 | 安全皇后譚氏 |
后妃 | 順貞皇后陳氏 |
陵墓 | 千徳陵 |
元号 | 建嘉 |
李 恵宗(り けいそう、越:Lý Huệ Tông、1194年 - 1226年9月3日、在位:1211年 - 1224年)は、李朝の第8代皇帝。第7代皇帝高宗の子。諱は李旵(また『元史』では李昊旵と書かれる)。
1209年、内乱によって父とともに都を追われた際、陳氏によって皇帝に擁立されたことがある(『大越史略』)。
1210年、父の死去で正式に即位したが、父同様に暗愚な人物で国政を顧みなかったため、外戚の陳守度に政治の実権を握られた。
1224年、皇位の簒奪を目論む陳守度によって廃され、自身の次女でわずか7歳の李昭皇を擁立される。そして1226年、邪魔者となった恵宗は、簒奪の用意を整えた陳守度によって自殺を余儀なくされた。
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