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末広義一

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末広 義一(すえひろ よしかず、1912年4月7日 - 1999年11月7日)は日本大蔵官僚

来歴

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愛媛県三間町出身[1]。若いころに大阪税務署に入り、苦学して関西大学専門部法科を卒業[2]1951年4月 主計局大蔵第一係主査[3]1953年4月1日 主計局主計官(給与課)。1954年5月15日 主計局主計官(総務課(予算総括係担当))。1958年4月26日 主計局司計課長。1961年 東北財務局長。1963年5月 退官。同年 金属鉱物探鉱融資事業団監事1964年 金属鉱物探鉱促進事業団理事1971年 海外鉱物資源開発監査1972年取締役1974年 常務1978年 特定船舶製造業安定事業協会理事。1999年11月7日 肺がんで死去。

脚注

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  1. ^ 『現代物故者事典 1901 - 1999』日外アソシエーツ、2609頁
  2. ^ 『大蔵省』大蔵省記者団、1956年発行、96頁
  3. ^ 『大蔵省人名録:明治・大正・昭和』大蔵財務協会、1973年1月発行、89頁
官職
先代
勢一正美
東北財務局
1961年 - 1963年
次代
鹿野義夫
先代
柳沢映蔵
大蔵省主計局司計課長
1958年 - 1961年
次代
大村筆夫