春生門事件

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春生門事件
各種表記
ハングル 춘생문사건
漢字 春生門事件
発音 チュンセンムン サコン
日本語読み: しゅんせいもんじけん
ローマ字 Chunsaengmun-sagon Incident
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春生門事件(しゅんせいもんじけん、チュンセンムン サゴン)とは、1895年11月28日李氏朝鮮漢城府ソウル)の景福宮春生門(現在の青瓦台春秋館の位置)において、ロシア軍・アメリカ軍水兵と朝鮮親露派の元農商工部大臣李範晋議政府総理大臣金弘集暗殺を企てた事件。乙未事変に対するカウンタークーデターとされる。

守備隊の説得等より高宗を奪い詔命を得る目的は達成できなかった[1]朝鮮旧侍衛隊王宮襲撃事件ともいう。

経過[編集]

1895年

  • 7月6日 金弘集、総理大臣を更迭される
  • 閔妃、李範晋に命じて閔派内閣を組織、金弘集等を暗殺する計画を立案
  • 10月6日 閔派、訓練隊の解散と武装解除を通告
  • 10月8日 乙未事変
  • 11月27日 李範晋と李敏宏、景福宮襲撃に関する諸般の準備開始
  • 11月29日
  • 午前1時頃 3発の号砲と共に一群の兵士(約兵士800人に刺客40人)は景福宮春生門前に押寄せ開門を叫ぶ
  • 春生門の守備隊は4小隊 中隊長李謙濟・小隊長李承奎・同李祖鉉・同権某 大隊長は李範来
  • 暴徒の一手(約200人)、春生門の西側の北墻門に押寄せ、門扉を破壊して闖入。守備へは訓練兵5名→4名逃走 伍長は捕縛されるが 歩哨の兵6名他より暴徒は逃走
  • 大隊長李範来(1隊)が北墻門より暴徒に説聞
  • 臨時光化門の守備兵1小隊を春生門にむける
  • 暴徒は退却し、隊長李道徹・中隊長南萬里・同李奎泓及び刺客4名、兵士5名を捕縛。(暴徒自から隊長李道徹を捕えて投降)
  • 暴徒の別働隊は尚門外に集結
  • 魚允中の説得で暴徒一同は其営舎に向て引きあげる。
  • 米国人「リゼンドル」「アンダーウード」「アツペンゼイラ」「エビソン」「ニンステツド」「ダイ」等6人も宮殿に突入しようとピストルを出して威嚇するが、哨兵に拒絶される。
  • 米国人宣教師 「アンダーウード」「エビソン」は宮殿内に潜入
  • 高宗の前に出たアンダーウッド、引きあげる。

首謀者と処分[編集]

露米両館内に潜匿した以外のものについては以下の通り。

謹慎
李完用・李采淵・玄興澤・閔商鎬
終身刑
李敏宏・李忠求・全佑基・盧興奎
笞100懲役3年
安駉寿・南萬里
一等を減じ就役も免じる措置
3ヶ年間地方謹慎
李載純[2]
本来笞100懲役3年からの免除措置
死刑(首謀者)
李道徹(隊長) 林最洙(侍従職)
王宮守備嘱託解雇と王宮追放
米国人 ダイとニンステッド

参考文献及び外部リンク[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 李軫鎬の内通により、未遂に終わったという節もある
  2. ^ のちの淸安君

関連項目[編集]