日本空手協会

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公益社団法人日本空手協会(にほんからてきょうかい、: Japan Karate Association, JKA)は、日本の空手団体。流派は、松濤館流(しょうとうかんりゅう)。旧主務官庁は、文部科学省。

1948年(昭和23年)5月に結成された。

概要[編集]

船越義珍の高弟達により、ノンコンタクトルール(寸止め)による空手道の組手競技化を目指して設立された空手団体。設立の際には船越義珍は最高師範として迎えられた。全日本空手道連盟世界空手連盟などの連盟を除く、単独の会派団体としては世界でも最大規模の空手団体である。

定款第3条には「本協会は、日本古来の武道である空手道の研究並びに指導によって、その技量の向上と自己鍛錬の普及を図り、もって国民の体位の向上と健全なスポーツ精神の涵養に寄与するとともに、礼節を重んじる日本武道の精神を国際的に広めることによって、世界平和に貢献することを目的とする。」と明記されている。

1957年より原則として毎年、内閣総理大臣杯全国空手道選手権大会を開催している。これはノンコンタクトルールの空手道競技の全国大会としては最古のものである[1]。組手競技ルールは所謂ノンコンタクトルール(寸止め)であるが、日本空手協会は一本勝負(技有り×2で一本)を採用し、全日本空手道連盟の組手の8ポイント差をつけた者が勝者であるルールとは異なる。

また、3年ごとに船越義珍杯世界空手道選手権大会を開催している。

全日本空手道連盟との関係[編集]

全日本空手道連盟(全空連)の創立に関わったが、一時離脱した。数年後、全空連に復帰し、松濤館流の統括団体として全空連各流派協力団体の一つとなった。

ところが2014年、天皇杯・皇后杯の下賜をめぐる問題により全空連との対立が生じ、全空連より除名処分が発表された。その後は2014年10月24日に東京地方裁判所より日本空手協会が協力団体の地位にある仮処分が決定した。但し、2014年11月12日に全空連理事会は、日本空手協会との協力関係を解消することを決議し、松濤館流の新たな統括団体として全日本空手道松涛館を設置している。

その後裁判へ移行する中、2016年1月に全空連・笹川尭会長、日本空手協会・草原克豪会長との間で協議がもたれ、2016年3月に全空連より「天皇杯・皇后杯の下賜申請について」[2]・日本空手協会より「全空連との和解について」[3]の各文書が発表され、日本空手協会による天皇杯・皇后杯下賜申請及び全空連への訴訟取り下げの後協力団体への加盟が再度認められることとなった。これにより、松濤館流については原則各流派一団体の原則が崩れ、二つの協力団体が併存することになる。

日本空手協会は全空連と並ぶ日本国内では2大空手団体のひとつだとし、全空連を「国内スポーツ空手統括団体」、自らを「武道空手実技団体・武道空手国際競技主催団体」と位置づけている。全空連では日本空手協会を数多ある協力団体または会派団体のひとつと位置づけている。 全空連が公益財団法人の認定を受けているのに対し、日本空手協会は公益社団法人の認定を受けている。アマチュア国内競技団体である全空連は、日本体育協会及び日本オリンピック委員会に加盟しているが、アマ・プロの区別がない世界的空手団体である日本空手協会は加盟していない。

歴代最高師範・首席師範[編集]

  1. 船越義珍(1948年 - 1957年)
  2. 中山正敏(1958年 - 1987年)
  3. 杉浦初久二(1991年 - 2010年)
  4. 植木政明(2010年 - )

歴代会長[編集]

  1. 西郷吉之助(1955年3月22日 - )
  2. 山崎巌(1957年9月10日 - )
  3. 益谷秀次(1959年6月 - )
  4. 田中角栄(1961年6月 - )
  5. 益谷秀次(1963年6月 - )
  6. 小坂善太郎(1972年6月19日 - )
  7. 飯塚毅(1984年10月10日 - )
  8. 中原伸之(1986年6月1日 - )
  9. 草原克豪(2015年10月21日 - )

代表的な選手[編集]

著名な有段者[編集]

元所属選手[編集]

段級位・色帯[編集]

空手の段級位制や色帯制は、柔道を参考にして導入された。段位は1924年(大正13年)に船越義珍が発行したのが、空手史上、初めてと言われている。

段級位 帯の色
十段
九段
八段
七段
六段
五段
四段
三段
弐段
初段
一級
二級
三級
四級
五級
六級
七級 白(緑・青・黄等)
八級 白(青・黄等)
九級 白(青・黄等)
十級 白(青・黄等)
入門者

脚注[編集]

外部リンク[編集]