日曜市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動

日曜市(にちよういち)は、高知県高知市追手筋で行われる街路市の名称。

概要[編集]

江戸時代から300年続く街路市。全国でも珍しく朝市ではなく終日行われる。農産物だけではなく動物・農具・骨董品なども売っている。かつては日の出~日没までだった閉店時間が、今では4月~9月は午前5時~午後6時・10月~3月は午前6時~午後5時までとなった。日曜市の出店者は、高知市近郊をはじめ高知県内の宿毛市安芸市など全県から訪れる。客は、高知市や近郊の住人、観光客が多い。

規模[編集]

  • 長さ:1314.5m
  • 店舗数:500店

歴史[編集]

この街路市の起源が一体どれくらい前なのかを正確にたどるのは難しい。一説によれば、1689年元禄3年)に制定された藩法「元禄大定目」の中に街路市が開設日と場所が定められていることから、少なくとも300年以上の歴史があることになる。

しかし当時は現在のような曜日制ではなく日を定めた日切市であり蓮池町と朝倉町などで開催されていた。日切市から現在のような曜日制に変わったのは、官庁が太陽暦を採用し日曜休日、土曜半休となった1886年(明治9年)になってからで、これと同時に蓮池町と朝倉町での市がなくなり、本町で開催されることとなった。

このように明治以降現在のような形となった日曜市だが、1901年(明治34年)頃より移転が協議され始めることとなる。この問題の直接の引き金としては土佐電気鉄道株式会社により、本町が位置している道路に今も使用されている電車軌道の許可を受けたことによるものと考えられ、1904年(明治37年)に土陽新聞に帯屋町市場開設広告が出されたことで一応の決着をすることとなる。

帯屋町は現在では高知市で一番大きな商店街と認識されているが、この移転がなされた当時は北側がほとんど病院で占められており、商店は南側に発展途上であった。幅員は現在と変わらない11mであったが人通りはまばらで、とても商店街とは呼びがたい状況であったと言われている。そこで移転先を探す日曜市と強力な集客力が欲しい帯屋町の思惑が重なったのである。そしてこの思惑は非常に成果をあげることとなった。帯屋町の商店の売り上げは飛躍的に伸びることとなり、日曜日の売り上げが他の6日間とほぼ同一であったといわれているほどである。

しかし、この幸せな結びつきも、帯屋町が商店街として着実に発展していくと共に変化をみせ始める。次第に帯屋町は商店数が増加していき、それに伴い規模も拡大していった。さらには映画館のような娯楽施設も大正末期に完成し、戦後焼け野原になった帯屋町の復興を経て、次第に現在と同じ帯屋町から一本北を通っている追手筋へと日曜市は移っていくこととなった。その後も1960年(昭和35年)頃から市に対する移転、廃止運動がおこるが、街路市の支持者の熱心な働きかけなどにより運動は白紙に戻され現在に至っている。

また、高知市では現在も日曜市の他に火曜、木曜、金曜にそれぞれの場所で「市」が開かれている。規模は日曜市にはどれも及ばないものの、より地元に密着し、どれもが市民の生活に根付いた市であるといえるだろう。

期間[編集]

1月1日・2日、よさこい祭り以外の日曜

最寄駅[編集]

とさでん交通桟橋線蓮池町通停留場徒歩1分

リンク[編集]