新聞記事 (落語)

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新聞記事(しんぶんきじ)は古典落語の演目の一つ。同演目の元となった上方落語における阿弥陀池(あみだいけ/あみだがいけ)についても本項で記述する。

概要[編集]

阿弥陀池[編集]

『新作和光寺』の題で上方の桂文屋が作ったもの。1906年明治39年)4月8日の「桂派落語矯風会」で初演。のちに初代桂春團治が現在に伝わるクスグリの多くを加味して得意ネタとしたものが、スタンダードな演じ方の『阿弥陀池』として確立した。主な演者に3代目桂米朝2代目桂枝雀桂坊枝3代目桂歌之助などがいる。0# 00

新聞記事[編集]

上記の『阿弥陀池』を、昭和初期に昔々亭桃太郎(山下喜久雄)が東京へ移植した。このとき登場人物を改変し、『新聞記事』と改題。主な演者に4代目柳亭痴楽3代目三遊亭圓歌などがいる。

あらすじ[編集]

阿弥陀池[編集]

男(喜六とされる場合あり)が隠居を尋ねると、隠居が何かを畳の上に置いたので、饅頭か何かを隠して食べている、と思い込んだ男は隠居を詰問する。「わしゃ新聞読んでたんや」「新聞て読むもんか? 下駄包んだり弁当包んだりする……」隠居はあきれ、「お前は新聞を読まんさかい、世間のことが何にも分からん。新聞読みや(=読めよ)」と男を諭すが、男は「そんなもン、わたい(=私)新聞読まいでも世ン中のこと知ってるわ」と意地を張るので、隠居は堀江の「阿弥陀池さん」こと和光寺で起こった強盗騒動を知っているか、と男に尋ねる。「あらあ(=あれは)尼寺やで。女の坊(ぼん)さんをというのじゃ」「男の坊さんは西宮という」「そないなこというかいな」(尼崎を「尼」と略すことにかけた駄洒落)

隠居は、次のような事件を語って聞かせる。ある晩、和光寺に押し入った賊が、ある尼僧に「金を出せ」とピストルを突きつけるが、尼僧は落ち着き払って胸をはだけ、「過ぎし日露の戦い[1]に、私の夫・山本大尉は乳の下、心臓を一発のもと撃ち抜かれて名誉の戦死を遂げられた。同じ死ぬなら夫と同(おんな)じ所を撃たれて死にたい。さぁ、誤たずここを撃て」と賊に言い放った。賊は尼僧に向かって平伏し、「私はかつて山本大尉の部下で、山本大尉は命の恩人とも言うべき人。その恩人の奥さんのところへピストルを持って忍び込むとは無礼の段、平に御免」と言うなり、ピストルをこめかみ(あるいは、のど)に当てて自殺しようとしたが、尼僧はそれを押しとどめて賊を諭した。「おまえは根っからの悪人ではない。誰かが行けとそそのかしたのであろう。誰が行けと言うた?」

「ちゅうたらこの盗人(ぬすと)、『へぇ、阿弥陀が行け(=池)と言いました』っちゅう・・・ははは、ちょっとよう出来た話やろ?」」

にわか(=冗談)ですかいな。もし、あんじょう(=正確に)言うてえな」「せやから、お前が新聞読まんさかい、こないして騙されるねん。新聞読んでたら『あんた嘘言うたらあかん。そんなこと新聞に載ってまへんがな』と言えるやろ」

それでも新聞を読もうと考えない男に対し、隠居は続けて「東の辻の米屋に盗人が入ったん知ってるか」と男に語って聞かせる。「今度はピストルやない、長い抜き身(=刀)をぶら下げて『金を出せ』とこう来た。ところがオッサン、びっくりせんわい。ちょっと腕が利いたねやな」「腕が利いた?」「腕に覚えがある、ちゅうことや」「覚え、ちゅうと?」「若い時に柔道の修業をして、柔(やわら)の心得があり、手向かいをした、これがいかんがな。『生兵法は大怪我の元』や。切り込んできたところをパッと体(たい)をかわした。よろめいたところを肩にかついで、土間にドーンと叩きつけた。相手が刀を取り落し、仰向けになったところを、四つばい(=四つんばい)になって、馬乗りで押さえつけた。ところが盗人も抜かりがないわい、懐に手ェ突っ込むと、かねて用意の匕首(あいくち)を取り出して、下からオヤジの心臓をブスーッと突いた。『アーッ』と言うたンがこの世の別れや……死んでもたがな。この盗人、米屋のオッサンの首をかき落とすと、ぬかの桶へ放(ほ)り込んで、逃げていまだに捕まらん。こんな話、お前聞いたか?」

「いや、聞かん」「聞かんはずや、『ぬかに首』やがな(「聞かん→利かん」=「ぬかに釘」という駄洒落)」

再び冗談でからかわれた男は隠居宅を飛び出したが、気が収まらない。誰かを「ぬかに首」でかついでやろう、と友人の家を尋ねるが、言葉をよく知らないため「腕が利いた」を「腕が切れて手がボロボロ」、「柔道で柔の修業」を「十三(じゅうそう)で柔らかい焼き餅の修業」、「生兵法は大怪我の元」を「生麩は焼き麩の元」「生煮えは半煮えの元」と言うなど、しどろもどろになって一向にうまくいかない。

「盗人がパッと切り込んで来たとこをオッサンが……そう、西宮かわしよったんや」「あんなもンかわせるかィ」「ほれ、西宮に有名なもンがあるやろがな」「えべっさんか?」「えべっさんの手ェに持ったある……」「釣り竿や」「釣り竿の先の方」「テグスか?」「テグスのまだ先や」「浮き?」「まだ先や」「重り?」「もうちょっと先」「針か?」「針に付いてるもンや」「餌か?」「どつく(=殴る)で、ホンマに。餌に食らいついとる、赤い大きい魚が」「そら、やろ」「……体をかわしよったんや。ほんで、盗人を土間へダーンと叩き付けて、仰向けにひっくり返ったとこ、オッサン、盗人のとこへ夜這いに行たんや……ところが盗人、懐へ手ェ突っ込むと、かねて用意のガマ口で……下から、おやっさんのシンネコついたんや。いや、そやあらへん。シントラでもなし、シンサルでもなし……ああ、お前、鼻の長いの知ってるか」「鼻の長いのなら天狗さんじゃろ」「シンテング。こらちゃうわ。それ、あの動物園におる」「あんじょう物言え。そら象やろが」「ああ。そうそう。心臓。ああ、シンゾ(=しんど)。この話、聞いたか?」

ここで友人が「いや聞かん」と返せば、「聞かんはずじゃ、ぬかに首」と駄洒落を言うことができたが、「今、お前から聞いた」と言うので、男は言うことがなくなり、「ほなさいなら」と友人宅を逃げるように去る。

気が晴れない男は、今度は隣町の友人宅を尋ねる。「東の辻の米屋へ、ゆうべ盗人が入ったんや」「うちの東の辻に、米屋なんかあらへんがな」「違う、西の辻や」「西の辻にもない」「北の辻」「北の辻にもないで」「……この辺に米屋ないやろか?」「お前米屋探して歩いてんのか? そやったら、うちの真ァ裏に『米正』があるがな」「その米正にゆうべ盗人が入ったんや……パッと切り込んで来るところを体をかわして……」「米屋のオヤッさんなら3年前から中風(ちゅうぶ)で寝てるがな」「息子はおらんのか」「居てるがな」「息子は腕に覚えがある……」「息子、まだ7つや」「そこの家には若い衆はおらんのか」「それやったら、ヨシやんいう威勢のええのがいてるがな」喜んだ男は、順調に米屋の冗談を語る。「……ヨシやん死んでもたがな。むごたらしい、首をかき落として、ぬかの桶へ放り込んで逃げていまだに捕まらん。こんな話、お前聞いたか?」

すると隣町の友人は泣きながら男を見据え、「よう知らしてくれた!」と男をねぎらった。隣町の友人にとってヨシやんは妻の弟であり、「田舎へ電報を打て」「葬式の準備せえ」と急いで妻に命じる。「ちゃう! ちゃう! 嘘や! 嘘やがな!」「こら、世の中にはついてええ嘘と悪い嘘とあるぞ。洒落や冗談で人が死んだとか殺されたとか言うもんやない。おのれの知恵やあるまい(=お前の発案ではないだろう)。誰が行け、ちゅうたんや」

「ええ……阿弥陀が行けと言いました」

新聞記事[編集]

舞台設定は『阿弥陀池』に準じる。「岩田の隠居」と、彼の顔馴染みの男(熊五郎あるいは八五郎)が茶飲み話をしており、隠居が男に持ち出す冗談は「天ぷら屋の竹さん」宅に入ったという盗賊の話である。

出刃包丁を突きつけてな、『金を出せ』って脅すんだよ。竹さん、なまじ剣術の心得があるものだから、護身用の樫の棒を取ると、ピタリと正眼に構えた。竹さん、ヒラリと体をかわして馬乗りになり、泥棒を縛ろうと……その途端、泥棒が隠し持っていたバリソンで胸元をグサッ。竹さん、後ろに倒れて一巻の終わりだ。しかし、悪いことはできないもので、5分たつかたたないうちにアゲられた(=逮捕された)」

「すごいことになりましたね。しかし、よくすぐにアゲられたものだ」「そのはずだよ、入った家(うち)が、天ぷら屋(「揚げられる」と掛けた駄洒落)」

感心した男は、この冗談を誰かに話したくてたまらず、さっそく友人の家に上がり込んで話し始めるが、言葉をよく知らないため、しどろもどろになってうまくいかない。「体をかわす」を導き出すために男が持ち出す神社は、ここでは神田明神になっている。その他「出刃包丁」が「肥後守」、「バリソン」が「婆さん」になるなど。

「5分たつかたたないうちに……」ここで男が続きを思い出せないでいると、友人のほうが「『アゲられた』だろ。天ぷら屋だからな」と、オチを読んでしまった。男が悔しがると、友人は「ところでおめえ、その話の続きを知ってるかい?」と逆に男に話を始める。「竹さんのカミさん(=妻)が、『もう二度と亭主は持たない』と、尼になったんだ」「どうして?」

「もとが天ぷら屋。すぐに衣をつけたんだ(出家することを表す慣用表現「衣をつける」と天ぷらのを掛けている)」

バリエーション[編集]

阿弥陀池[編集]

  • 尼寺の強盗噺を冗談だとばらす際、「これは噺家がしゃべってたんや」などと説明する演じ方がある。初代春團治は「曽我廼家の喜劇や」と演じていた。
  • 「(壁を補修するために)便所の壁に貼っている新聞を毎日読んでいる」というクスグリは3代目米朝が工夫した。

新聞記事[編集]

エピソード[編集]

  • 桂文屋が初演した際、前半部で隠居を演じて「阿弥陀が行け、と言いました」と言ったところ、サゲと勘違いした前座が、おもわず下座で太鼓を鳴らしてしまった。高座の文屋は慌てて「ちゃう、ちゃう。まだ続きあンねん」と怒鳴って噺を続けた。
  • 3代目圓歌によると、教えられたとおりに実践しようとし、結局ハチャメチャにしてしまう『オウム』と言うパターンの話であるため、『手本』となる前半部分の演じ方が難しいところなのだそうだ。

出典[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 桂文屋が創作した時期は日露戦争の直後であり、戦争未亡人が多かった。