コンテンツにスキップ

斎藤就実

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
斎藤就実
時代 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 寛永4年12月4日1628年1月10日
別名 通称:五郎介→次兵衛尉(治兵衛尉)
主君 毛利秀就
長州藩
氏族 斎藤氏
父母 父:斎藤元助
就幸
テンプレートを表示

斎藤 就実(さいとう なりざね)は、江戸時代初期の武士毛利氏家臣で長州藩士。父は斎藤元助

生涯

[編集]

長州藩士・斎藤元助の嫡男として生まれ、慶長17年(1612年2月1日毛利秀就加冠状を受けて元服。「就」の偏諱を与えられて「就実」と名乗った。元和7年(1621年5月1日には毛利輝元から「次兵衛尉」の百官名を与えられた。

寛永4年(1627年12月4日、父・元助に先立って死去。嫡男の就幸が後継となった。

参考文献

[編集]