戸川安章 (民俗学者)

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戸川 安章(とがわ あんしょう、1906年8月3日[1] - 2006年12月12日)は、日本民俗学者。山形県民俗研究協議会会長。日本山岳修験学会顧問。致道博物館顧問、荘内文化財保存会理事。鶴岡女子専門学校校長。栄典称号は、勲五等双光旭日章羽黒町名誉町民(現・鶴岡市名誉市民)。

人物[編集]

日本民俗学の第一人者で、特に出羽三山山岳修験道の研究で知られる。

母方で備中庭瀬藩戸川家の分家である帯江戸川家の家系[2]。母方の祖父は帯江戸川家8代戸川安愛の弟の戸川最兎女(もとめ)栄秀[3]。父の島津伝道荒沢寺住職として、羽黒山修験本宗を天台宗から独立させた[4]。安章は戸川家を継ぎ戸川姓となった[5]。甥(妹の息子)に東京創元社の編集者の戸川安宣[6]

略歴[編集]

受賞歴[編集]

著作物[編集]

著書[編集]

  • 「出羽三山縁年考」 1926年
  • 「国宝建造物黄金堂に就いて」 1936年
  • 「伝説と考証於竹大日如来」 1938年
  • 羽黒修験の経歴法階」 1938年
  • 「神仏分離と出羽三山の信仰」 1941年
  • 「三山雅集解題」 1942年
  • 「羽黒山伏と民間信仰」 1950年
  • 「庄内のミイラ」 1963年
  • 「山村「大机」見聞記」 1966年
  • 「山形県庄内地方における女性の地位」 1966年
  • 「山形県庄内地方のシシ踊り」 1967年
  • 「羽黒山の歳夜祭り」 1969年
  • 「一山寺院について」 1970年
  • 「羽黒山の絵札」 1970年
  • 「羽黒山の松例祭」 1970年
  • 「修験道と民俗」 1972年
  • 「羽黒山二百話」 1972年
  • 「日本の民俗6」 1973年
  • 「湯殿山よもやまばなし」 1973年
  • 「日本の民俗山形」 1973年
  • 「出羽三山歴史と文化」 1973年
  • 「出羽三山修験道の研究」 1973年 ISBN 4-333-01237-6
  • 「ミイラ仏と出羽三山秘宝展」 1973年
  • 「出羽三山の秘宝展」 1974年
  • 「黒川能の歴史と風土」 1974年
  • 「出羽三山のミイラ仏」 1974年
  • 「出羽三山修験道と民間信仰」 1975年
  • 「出羽三山と東北修験の研究」 1975年 ISBN 4-626-01589-1
  • 「羽前の伝説」 1975年
  • 「羽黒山秘話」 1975年
  • 「出羽三山の絵札」 1976年
  • 「大宝山・般若寺の歴史」 1978年
  • 「櫛引町史」 1978年
  • 「神道大系神社編32」 1982年
  • 「東北の文化と出羽三山」 1983年
  • 「鉄仏・葬頭河の優婆尊」 1988年
  • 「櫛引町史黒川能史編」 1990年
  • 「称願上人の念仏碑をめぐって」 1992年
  • 「出羽修験の修行と生活」 1993年 ISBN 4-333-01647-9
  • 「出羽三山と修験道 戸川安章著作集1」 2005年 ISBN 4-87294-355-4
  • 「修験道と民俗宗教 戸川安章著作集2」 2005年 ISBN 4-87294-356-2
  • 「鉄竜海上人伝」
  • 「校註 羽黒中興覚書」
  • 「羽黒山における芭蕉をめぐって - 奥の細道の風土3」

著作集[編集]

共著[編集]

  • 「日本の聖域9」 1982年 ISBN 4-333-01049-7
  • 「北海道・東北地方の民具」 1982年9月

編纂[編集]

報告書[編集]

  • 「神社総合調査事例報告椙尾神社調査報告」 1967年
  • 「奥の細道封人の家保存対策の調査報告書」 1968年

論文[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 日本著作権協議会 編『著作権台帳 第8版(文化人名録 昭和34年版)』日本著作権協議会、1959年、360頁。 
  2. ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81
  3. ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81
  4. ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81
  5. ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81
  6. ^ 戸川安宣『ぼくのミステリ・クロニクル』(国書刊行会)P.80-81