成田稔

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成田 稔 (なりた みのる、1927年 - )日本の医師(整形外科)、医学博士国立療養所多磨全生園、園長、国立ハンセン病資料館 館長で、ハンセン病行政、歴史を研究し、歴史などに関する発言が多い。

略歴[編集]

1927年、札幌に生まれる。 1950年 東京大学、 医学部付属専門部卒業。1951年、 東京大学医学部病理学教室研究生。1955年国立療養所多磨全生園 医務科、 1958年、 慶應義塾大学 医学博士、論文名は「中脳と呼吸運動」、[1] 1968年 国立療養所多磨全生園整形外科医長、1981年 同園副園長、1985年 同園園長、1992年 国立多磨研究所(現:国立感染症研究所ハンセン病センター)の所長併任(1年)。同年、第65回日本らい学会(現:日本ハンセン病学会)を主催する。同学会の庶務幹事を務め、学会としてらい予防法反対の決議をだすに至る。1993年多磨全生園園長退官、同名誉園長、同年高松宮記念ハンセン病資料館運営委員長、2007年 国立ハンセン病資料館館長。

日本形成外科学会専門医、日本リハビリテーション学会専門医。

日本らい学会での活躍[編集]

1995年、第68回日本らい学会が横浜市 で開催されたが、その前1年間、牧野正直、長尾栄治、後藤正道、尾崎元昭とともに、らい予防法反対を学会として纏め上げた。但し、その文章の中で隔離主義を唱えた先輩を批判はできないと述べた。1996年の岡山における日本らい学会で日本らい学会をハンセン病学会と変更した。1953年公布、施行されたらい予防法は、学会の決議の後の1996年4月1日、らい予防法の廃止に関する法律により廃止された。

光田健輔に関して[編集]

成田は500頁を超える著書 『日本のらい対策から何を学ぶか』の中で光田健輔に関するコメントをしている。[2]

 癩の予防には隔離が最善とする、第1回国際癩会議(1897年)におけるハンセンの提議を光田は盲信し、絶対隔離の遂行をもって無癩国日本を夢想した。1931年に至って癩予防協会設立、癩予防法公布と続き、絶対隔離は国策的軌道に乗った。しかし、1930年の国際連盟癩委員会においては、伝染性を配慮した隔離と外来診療とが討議されており、その趣意は第8回日本医学会(1930年)にも報告された。さらに同委員会は日本が範としたノルウェーを例にあげ、国民の栄養状態の改善によって隔離が唯一の方策ではなくなったともしている。

 すなわち日本が絶対隔離に踏み切った頃には、隔離の必要性についての国際的認識はすでに弱まっていた。それにもかかわらず隔離を唯一最善とし、次善、次々善へと目を向けなかった光田は、癩(らい)対策の権威者では決してあり得ない。  また無癩国日本の目的はよしとして、そのための手段である隔離を唯一最善としたから、手段を目的化する過誤を招くことにもなった。今、光田への非難が集中する所以でもある。

エピソード[編集]

1955年、上司の病理学教授が成田と同じような仕事をした福士勝成のらい研究所を紹介した。空き席がなく、隣の多磨全生園に就職を決めたが、成田は園長には整形外科と口腔外科を少しやっていると述べた。園長は成田を患者に紹介して間違えて「美容外科が専門だ」と言ったので毎日患者が列をなしたという。[3]成田の研究への姿勢について、彼はこう述べている。「甚だ不遜だが、らい療養所の就職当時から、ただ一人の形成外科医だと自認していた私は先輩も後輩もなく、いつも一匹狼を通しつづけ、自己の領域を超えて他の医師の存在を特に意識したことはなかった。園長になって初めて、同輩の中に畏敬する2、3の医師はいたが、その人たちのことも意識しなかった。」[4]

著書[編集]

  • 『ユマニテの人 木下杢太郎とハンセン病』日本医事新聞社、2004, ISBN 4-7849-7317-6
  • 『日本のらい対策から何を学ぶか』2009, 明石書店 ISBN 978-4-7503-3000-6
  • 「らいからハンセン病へ」2001, 雑誌「多磨」82巻、(多磨全生園の雑誌)6回連載
  • 『日本の癩(らい)対策の誤りと「名誉回復」 今、改めてハンセン病対策を考える』2017、明石書店、ISBN 978-4-7503-4569-7

業績[編集]

  • [Increased incidence of senile dementia in the Hansen's disease sanatoriums of Japan]. Narita M, Onoda I, Tokizaki K, Kayano T, Takasaki K, Tubokura I, Sunami K. 日本ハンセン病学会雑誌. 1998 Jul;67(2):277-85.
  • Establishment of His Imperial Highness Prince Takamatsu Memorial Hall for historical materials of Hansen's disease. Narita M. 日本らい学会雑誌. 1994 Mar;63(1):30-1.
  • [Clinical study of sensory disorders of the hand in leprosy]. Narita M, Aoki M. 日本らい学会雑誌. 1986 Jan-Mar;55(1):1-12.
  • [Reconstructive surgery of ear deformity due to leprosy]. Narita M. Keisei Geka. 1968 Oct;11(4):Suppl:1-7
  • [Facial disfigurement in leprosy]. Narita M, Ohira K. 形成外科. 1967 Oct;10(4):Suppl:23-31.
  • [Trials using the tubed pedicle flap]. Narita M. 形成外科. 1967 Jul;10(3):Suppl:13-7.
  • [Case of surgery of palate cancer]. Narita M, Ohira K. 形成外科. 1967 Apr;10(2):Suppl:1-6.
  • Plastic and cosmetic surgery for leprosy in Japan. Narita M. 形成外科. 1966 Oct;9(4):Suppl:10-3.
  • [Nasal prosthesis using nickel-chrome metalic mesh]. Narita M. 形成外科. 1966 Jul;9(3):Suppl:6-10.
  • [Leprous auricle deformities]. Narita M, Ohhira K. 形成外科. 1965 Oct;8(4):Suppl:16-21.
  • [Hair transplantation, especially as a repair of the eyebrows and eyelashes in leprous patients]. Narita M. 形成外科. 1965 Jul;8(3):Suppl:1-8.
  • [Rhinoplasty by homo costal cartilage preserve unsatisfactory]. Narita M. 形成外科. 1965 Apr;8(2):Suppl:1-7.
  • 成田稔 「らいからハンセン病へ」 (6回連載)「多磨」82巻, 1-6, 2001,

文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 博士論文書誌データベース
  2. ^ 成田[2009:536,502,505,510]
  3. ^ 国立感染症研究所ハンセン病研究センター[2005:22-23]
  4. ^ 成田[2009:525]