成公(せいこう)は、春秋時代の陳の君主(在位前598年 - 前569年)。姓は嬀、名は午。霊公の子として生まれた。霊公十五年(紀元前599年)、一族の夏徴舒の乱が起こると、晋に亡命した。成公元年(紀元前598年)、楚の荘王が諸侯と連合して陳を討ち、夏徴舒を車裂きの刑で処刑すると、午は晋から迎えられて陳国の君主に立てられた。
30年(紀元前569年)3月、死去した。