夏徴舒

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夏 徴舒(か ちょうじょ)は、公族大夫徴舒霊公を弑して陳侯と称した。

概要[編集]

陳の大夫の夏御叔夏姫のあいだの子として生まれた。父方の祖父は陳の宣公の子の公子少西(字は子夏)であり、母方の祖父は穆公である。

陳の霊公十四年(紀元前600年)、霊公と陳の大夫の孔寧儀行父は夏姫と姦通し、夏姫の下着を着こんで朝堂でふざけあった。大夫の洩冶がその淫奔を諫めたため孔寧らに殺害された。十五年(紀元前599年)、霊公は孔寧や儀行父とともに夏氏の邸で酒宴を開き、「夏徴舒はおまえに似ているぞ」と儀行父に言った。儀行父は「君にも似ております」と答えた。徴舒は激怒して、陳の霊公が邸から出るときに厩の陰から矢を放って、そのまま弑した。孔寧と儀行父はに逃亡し、太子の嬀午に亡命した。徴舒は自ら立って陳侯となった。

陳の成公元年(紀元前598年)冬、楚の荘王が陳を討った。捕らえられた徴舒は栗門で車裂きにされて処刑された。晋に亡命した太子の嬀午が帰還して陳侯として立てられた。

陳の大夫の夏齧(zh)は夏徴舒の曾孫にあたる。

参考文献[編集]