後藤賢豊

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後藤賢豊
時代 戦国時代
生誕 不明
死没 永禄6年(1563年
別名 重左衛門尉
官位 但馬守
主君 六角義賢
氏族 後藤氏
父母 父:後藤但馬守
兄弟 賢豊、千種三郎左衛門、
妹(蒲生賢秀正室)
壱岐守、高治

後藤 賢豊(ごとう かたとよ)は、戦国時代武将六角氏の家臣。

生涯[編集]

近江国戦国大名・六角氏の家臣で後藤但馬守の子として誕生。主君・六角義賢偏諱(「賢」の字)を受け、賢豊と名乗った。

賢豊の後藤氏進藤貞治進藤賢盛進藤氏は「六角氏の両」と呼ばれる六角氏の宿老であり、智勇に優れた賢豊は義賢に従って浅井攻めなどに活躍した。

永禄2年(1559年)、蒲生氏と共に恩賞条奉行を務め、永禄5年(1562年)には義賢の上洛に従い、大徳寺警護を務める。

永禄6年(1563年)、義賢の子・六角義治の起こした観音寺騒動により観音寺城内で子の壱岐守(名は不詳)らとともに殺害された。家督は次男・高治が継いだ。