張赫宙

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張赫宙
各種表記
ハングル 장혁주
漢字 張赫宙
発音 チャン ヒョクチュ
日本語読み: ちょう かくちゅう
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張 赫宙(ちょう かくちゅう/チャン ヒョクチュ、1905年10月13日 - 1997年)または野口赫宙(のぐち かくちゅう)は、植民地期の代表的な朝鮮人日本語作家である。また金史良とともに「在日朝鮮人文学」の嚆矢とされる。

日本文壇デビュー作は「餓鬼道」(『改造』1932年4月、懸賞小説入選作)。初期作品では同時代のプロレタリア文学の影響を受け、朝鮮農民の貧困と悲惨さを訴えると同時に、植民地期朝鮮人の様々な人間群像をリアリズム文体で巧みに描き出してもいる。それらを集めた処女作品集『権といふ男』は張赫宙の代表作である。一方で、張赫宙は自己の出自や来歴に非常に拘泥しており、第2創作集『仁王洞時代』や『愛憎の記録』、さらに戦後においては『遍歴の調書』(1954年)『嵐の詩』(1975年)を刊行している。しつこいほど自己を語っている。張赫宙はいわゆる親日文学者としてよく取り上げられているが、張赫宙の文学は日本の私小説、韓国のいわゆる身世打令の性質が一貫して底流する。そのため、張赫宙の文学は強靭な思想とイデオロギーで一貫しているというより自局と時勢に順応していく傾向を持つ。それはプロレタリア文学風の初期作品群においても、満州事変以降に書かれる『開拓地帯』『田園の雷鳴』『緑の北国』『幸福の民』『開墾』などの膨大な満州開拓農民関連の作品や、加藤清正から李舜臣で終わる予定の『七年の嵐』『和戦何れも辞せず』などの歴史小説においても、さらに時局的な色彩が濃厚な『岩本志願兵』においても同様に言える。作品の題材は時勢とともに目まぐるしく変化しているが、自己の出自と来歴は繰り返し書かれている。

終戦後、戦前的な題材をすべて失った張赫宙は窮して児童文学、少女小説、朝鮮戦争関連のルポ、歴史小説、ミステリーなどを書いていくが、以前の名声を取り戻すことは出来なかった。朝鮮戦争の悲惨さを描いた『嗚呼朝鮮』(1952年)を最後に、張は日本に帰化して「張赫宙」から「野口赫宙」を名乗るようになった。こうした文学的な経歴と私的条件から、張赫宙は「親日文学者」の代表的存在として評価されることが多い。再晩年には日本語とも朝鮮語とも離れ、英語で長編小説を書いてインドで出版している。

来歴[編集]

  • 1905年10月7日、朝鮮慶尚北道大邱府の地主の子として生まれる。本名、張恩重(チャン・ウンジュン、장은중)。慶州の鶏林普通学校及び簡易農業学校で大坂六村大坂金太郎)の影響を受け、歴史と日本語に関心を寄せる。14・5歳の頃結婚。20歳の頃アナキストの団体に加入。1929年小学校の教員となる。
  • 1932年4月雑誌『改造』の懸賞小説に「餓鬼道」が入選、保高徳蔵の『文芸首都』同人となる。34年、改造社から小説集『権という男』を出版。この頃は朝鮮語でも書き東亜日報などに発表していた。この頃野口はな子(通名「桂子」)と結婚。
  • 1938年、張赫宙脚本の「春香伝」が村山知義新協劇団によって日本と朝鮮で巡回公演される。
  • 1939年に大陸開拓文芸懇話会に参加するなど、徐々に日本の戦時体制に組み込まれて活動していくようになり、1943年には皇道朝鮮研究委員会委員となる。1944年には国策に沿った小説集『岩本志願兵』を出版した。
  • 1945年8月15日を日本人妻(野口桂子)とともに迎え、1952年には帰化申請し「野口稔」となる。
  • 1952年に出版した『嗚呼朝鮮』が張赫宙名で書いた最後の作品となり、次の『無窮花』では野口赫宙名で出版している。その後も自伝作品、歴史小説、ミステリー、癌問題を扱った作品など多様に作品を残し、アメリカや中東を取材旅行するなど老いても盛んで、英文の小説も出版した。

(南富鎭・白川豊編『張赫宙日本語作品選』収録の白川豊「張赫宙略年譜(一九四五年以前中心)」を参考にした)

主な著作[編集]

  • 権という男(改造社 1933年6月)
  • 仁王洞時代(河出書房 1935年6月)
  • 春香傳(新潮社 1938年4月)
  • 加藤清正(改造社 1939年4月)
  • 愛憎の記録(河出書房 1940年8月)
  • 和戦何れも辞せず(大観堂 1942年)
  • 開墾(中央公論社 1943年4月)
  • 浮き沈み(河出書房 1943年11月)
  • 岩本志願兵(興亜文化出版 1944年1月)
  • 孤児たち(萬里閣 1946年12月)
  • 人の善さと悪さと(丹頂書房 1947年12月)
  • 愚劣漢(富國出版社 1948年12月)
  • 秘苑の花(世界社 1950年3月)
  • ひかげの子(新潮社 1956年11月)
  • 黒い地帯(新制社 1958年10月)
  • 武蔵陣屋(雪華社 1961年10月)
  • 嵐の詩(講談社 1975年4月)
  • 韓と倭(講談社 1977年10月)
  • 陶と剣(講談社 1980年11月)
  • マヤ・インカに縄文人を追う(新芸術社 1989年6月)
  • 張赫宙日本語作品選(勉誠出版 2003年10月)

研究文献[編集]

  • 任展慧「張赫宙論」(『文学』1965年11月)
  • 林浩治「張赫宙論」(『在日朝鮮人日本語文学論』新幹社 1991年7月)
  • 白川豊「張赫宙研究」(東國大學校大学院 博士学位論文 1989年12月)
  • 白川豊「張赫宙の日本語小説考」「戦前期日本文学界の状況と張赫宙」「張赫宙作戯曲〈春香伝〉とその上演(1938年)」(『植民地期朝鮮の作家と日本』大学教育出版 1995年7月)
  • 白川豊「張赫宙の初期長篇作品について」(九州大学文学部『史淵』第123集 1986年2月)
  • 白川豊「張赫宙の朝鮮語作品考」(『朝鮮学報』第119・120号 1986年7月)
  • 白川豊「張赫宙作・長編〈嗚呼長編〉をめぐって」(東國大学校日本学研究所『日本學』第19輯 2000年12月)
  • 南富鎭「解説――日本語への欲望と近代への方向」(『張赫宙日本語作品選』勉誠出版 2003年10月)
  • 梁姫淑『張赫宙戦後研究――終戦から帰化まで』(埼玉大学博士論文 2014年3月)