庚申換局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search

庚申換局(キョシンファングク)とは、朝鮮王国の19代国王粛宗が行った政策で、西人と呼ばれる一派が南人と呼ばれる一派に取って代わり政治の執権を取った政変である。

概要[編集]

1680年3月、南人の重臣である許積が許可なく勝手に宮中の天幕を使用した「油幄事件」と呼ばれる事件が発生した。これをきっかけにして粛宗は南人政権に強い不信感と疑惑を抱くようになり、換局と呼ばれる政権交代を準備する。南人派の訓錬大将だった柳赫然を解任して後任に西人の金万基を任命したのは、換局の開幕を告げるものとなる。その後、南人の中央軍営の隊長らまでもがことごとく更迭され、彼らの後任に西人が任命された。こうして南人は徐々に政治的立場が弱くなっていくのであった。

その間、西人の重臣で王族とも外戚関係にあった金錫胄が南人のひそかな動きを秘密裏に調べ上げ、南人らの反逆陰謀事件を暴露して南人に決定的なダメージを与えた。金錫胄曰く、許積の庶子である許堅が兵力を背景にして三福と呼ばれる粛宗に代わって王位に就くことが可能な王族と結託して粛宗に反逆を図ったとする。

この一連の動きを背景に庚申換局が行われ、政権は甲寅礼訟に引き続いて交代させられた。庚申換局後も金錫胄は権力を掌握することになる。

油幄事件[編集]

1680年3月28日、南人の許積は、自身の祖父が謚を受けるのを祝う延謚宴を催した。許積は宮中で強大な権力を持っていたため、各司と全国八道および文武百官が集まった。しかし、「祭に来る者のうち、金錫冑と金万基は殺される」といううわさが流れた。許積は、金両氏を招待するために、書状を五回ずつ送ったが、噂を十分に知っていた金錫胄は病気を理由に欠席し、金万基はあえて延謚宴に遅刻し、毒殺を恐れて他人の杯を奪って飲み、自らは順杯が来ても受け取らなかった。その時、たまたま雨が降っていたので、、粛宗がこれを心配して特別に宮中で使う油を引いた天幕と日よけ持って行ってあげなさいと命じたが、許積がすでに天幕を無断で持ち出していた。それに対して粛宗は気分を害し、侍臣に様子を探らせた。侍臣が探った結果、祭に参加していたほとんどが南人で西人はわずかだった。

そこで、粛宗は王宮の門を閉じるなと命じたうえで、柳赫然、申汝哲、金万基を牌招した。そして訓錬大将を柳赫然から金万基に、さらに摠戎使には申汝哲といったように西人を大胆に登用され、大挙に要職を占めた。一方の南人は辞職したり、追放されたりした。これが庚申換局である。また、「油幄事件」は「遮日事件」とも呼ばれる。

庚申換局が描かれている作品[編集]

テレビドラマ

出典[編集]