平群真鳥
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時代 | 古墳時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 仁賢天皇11年(498年) |
官位 | 大臣 |
主君 | 雄略天皇→仁賢天皇 |
氏族 | 平群氏 |
父母 | 父:平群木菟 |
兄弟 | 額田早良宿禰 |
子 | 平群鮪 |
平群 真鳥(へぐり の まとり、生年不詳 - 498年?)は、雄略・清寧・顕宗・仁賢朝の大臣。父は平群木菟。子に平群鮪がいる。
概要
[編集]仁賢天皇の没後、自ら大王になろうとしたが、これに不満を抱いた大伴金村は小泊瀬稚鷦鷯尊(後の武烈天皇)の命令を受け平群真鳥とその子鮪を討ち、さらに平群一族を皆殺しにした。
『日本書紀』には、真鳥が死にあたって産地を列挙して塩を呪ったが、角鹿(敦賀)を呪い忘れたため、天皇が食する塩は角鹿産のみとなったとする伝説が記されている[1][2]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ [1]コトバンク - 平群真鳥
- ^ “(角鹿の塩 呪いをかけ忘れた塩) 角鹿の塩:呪われなかった唯一の塩|検索詳細|地域観光資源の多言語解説文データベース”. 地域観光資源の多言語解説文データベース. 2025年3月9日閲覧。