平林城

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平林城
新潟県
別名 加護山城
城郭構造 山城
築城主 平林氏
築城年 南北朝時代
主な城主 平林氏、色部氏
廃城年 1598年
遺構 曲輪、堀切、土塁、空堀
虎口、馬洗い、首切り清水
指定文化財 なし
位置 北緯38度8分18.8秒 東経139度28分10.6秒 / 北緯38.138556度 東経139.469611度 / 38.138556; 139.469611座標: 北緯38度8分18.8秒 東経139度28分10.6秒 / 北緯38.138556度 東経139.469611度 / 38.138556; 139.469611
Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:遺構の画像提供をお願いします。2016年11月

平林城(ひらばやしじょう)は、現在の新潟県村上市平林にあった日本の城。阿賀北地方の有力な領主であった色部氏の居城として知られる山城で、国の史跡に指定されている。

歴史[編集]

南北朝時代南朝方に付いた平林氏の城であったが、北朝方で鎌倉時代以来の地頭だった色部氏が攻め滅ぼし居城にした。以降、代々色部氏の本拠地となった。

永正の大乱では、城主色部昌長越後守護上杉房能に従い、守護代長尾為景と対立。永正5年(1508年)5月に為景方の鳥坂城主の中条氏や築地氏らに攻められ落城、降伏して長尾氏に帰属した。

天文8年(1539年)、色部勝長の時には守護上杉定実の養子縁組問題から伊達稙宗中条藤資に攻められるが、伊達氏の内紛で撤退した。その後勝長は上杉謙信の重臣として活躍。

色部長真の代の慶長3年(1598年)、上杉景勝会津移封により廃城となった。

1978年昭和53年)9月18日、平林城跡は国の史跡に指定[1]された。

所在地およびアクセス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 平林城跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]