平成筑豊鉄道100形気動車
平成筑豊鉄道100形気動車 | |
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100形 106 | |
基本情報 | |
運用者 | 平成筑豊鉄道 |
製造所 | 富士重工業 |
製造年 | 1989年 |
廃車 | 2010年 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
最高速度 | 95 km/h |
車両定員 |
105人(座席45人)(100形) 124人(座席58人)(200形・300形) |
自重 |
26.7 t(100形) 29.7 t(200形・300形) |
全長 |
16,500 mm(100形) 18,500mm(200形・300形) |
全幅 | 3,090 mm |
全高 | 4,009 mm |
車体 | 普通鋼製 |
台車 | FU34D(動力台車)/FU34T(付随台車) |
動力伝達方式 | 液体式 |
機関 | 直列6気筒横形UDトラックス(旧:日産ディーゼル)製PE6HT-03A |
機関出力 | 250PS/1900rpm |
搭載数 | 1 |
備考 | [1][2] |
平成筑豊鉄道100形気動車(へいせいちくほうてつどう100がたきどうしゃ)は、平成筑豊鉄道が1989年(平成元年)10月1日の開業にあわせて製造した鉄道車両(気動車)である。
本記事では、ほぼ同形の200形気動車、300形気動車についても記述する。
概要
[編集]九州旅客鉄道の田川線・糸田線・伊田線が第三セクターの平成筑豊鉄道に転換されるのを前に、富士重工業により100形9両(101 - 109)、200形3両(201 - 203)、300形4両(301 - 304)の計16両が製造された。
いずれも富士重工業が第三セクター鉄道向けに製造していたLE-DCと呼ばれるタイプの車両で、100形は車体長さ16mで車内はセミクロスシート、200形は車体長さ18mで車内はセミクロスシート、300形は車体長さ18mで車内はロングシートとなっている。
各形式ともワンマン運転に対応した構造である。
構造
[編集]車体
[編集]普通鋼製車体で、前面形状は本形式以前の1988年に導入されたのと鉄道NT100形に類似しており、前面には貫通扉を設け、前面窓は側面まで回りこんだパノラミックウインドウで、左側窓上にはワンマン運転表示灯を、右側窓上には方向幕を設置している。のと鉄道NT100形と比べ、貫通扉の窓の上下寸法が拡大されている。また前照灯は両側前面窓下部のみに設けている。側面は両端部に折り戸の出入口扉を設け、側窓は出入口脇の1枚が固定式であるほかは上段固定下段引き違いとしているなど、バス車体の特徴も見られる。
200形、300形はLE-DC初の18m車体となっている。
いずれも車体塗装はクリーム色地で、側面上部(幕板)に水色の帯、前面・側面腰板部にオレンジ色・赤色の帯を配している。一部の車両はラッピングが施工されていた。
車内
[編集]100形、200形は扉寄りの部分をロングシートとし、中央部は一方に二人掛けの、他方に一人掛けの座席を向かい合わせに配置した固定クロスシート(ボックスシート)となっている。300形は全席ロングシートである。全車とも車内にトイレは設置されていない。
ワンマン運転に対応する。
冷暖房装置として、機関直結方式の冷房装置と、温水温風ファン方式の暖房装置を備えている。
運用
[編集]各形式とも伊田線、糸田線、田川線で運用されていた。近年の運行本数削減による運用減と新形式400形、500形への置き換えにより2007年から廃車が始まり、2007年3月に105・107・302が、2008年2月に104・108・201が、2008年度に103・202・301が、2009年度に101・102・106・109・203が廃車となり、残った303・304も2010年12月18日をもって運転を終了し同年度内に廃車となった。2011年1月22日に101・303がミャンマーに譲渡された[3]。また、304は金田駅構内で動態保存され、運転体験に使用されるほか、2011年2月1日からは催事会場として一般開放されている。
脚注
[編集]- ^ 寺田裕一『私鉄気動車30年』JTBパブリッシング、2006年。ISBN 4-533-06532-5。
- ^ 400型「なのはな号」 | へいちくネット(平成筑豊鉄道) 2019年4月17日閲覧
- ^ 平成筑豊鉄道100系・300系がミャンマーへ - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年1月23日