多治見中継局
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(岐阜ラジオ多治見中継局から転送)
座標: 北緯35度21分58.8秒 東経137度6分30.7秒 / 北緯35.366333度 東経137.108528度
多治見中継局(たじみちゅうけいきょく)は、岐阜県多治見市にある中継局。
多治見テレビ中継局
[編集]デジタルテレビ
[編集]リモコン キーID |
放送局名 | チャンネル 番号 |
空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象 地域 |
放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | THK 東海テレビ放送 |
15ch | 1W | 1.2W | 垂直偏波 | 中京広域圏 | 約21,900世帯 | 2009年 5月14日 |
2 | NHK 名古屋教育 |
31ch | 全国放送 | |||||
3 | NHK NHK岐阜総合 |
24ch | 岐阜県 | |||||
4 | CTV 中京テレビ放送 |
17ch | 中京広域圏 | |||||
5 | CBCテレビ | 16ch | ||||||
6 | NBN 名古屋テレビ放送 |
14ch | ||||||
8 | GBS 岐阜放送 |
30ch | 岐阜県 |
所在地
[編集]- 多治見市大畑町(元町の丘)[1]
放送エリア
[編集]- 多治見市の一部[1]
歴史
[編集]補足
[編集]アナログテレビ(廃止)
[編集]チャンネル 番号 |
放送局名 | 空中線 電力 |
ERP | 偏波面 | 放送対象 地域 |
放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
49ch | NHK 名古屋教育 |
映像3W/ 音声750mW |
映像9.9W/ 音声2.5W |
垂直偏波 | 全国放送 | 16,277世帯 | 1968年 5月25日[4] |
51ch | NHK 岐阜総合 |
岐阜県 | |||||
53ch | CBC 中部日本放送 |
映像10W/ 音声2.5W |
映像9.3W/ 音声2.3W |
中京広域圏 | 1981年 12月26日[5] | ||
55ch | THK 東海テレビ放送 |
1972年 10月19日[6] | |||||
57ch | NBN 名古屋テレビ放送 |
- | |||||
59ch | CTV 中京テレビ放送 |
1973年 6月9日[7] | |||||
61ch | GBS 岐阜放送 |
岐阜県 | 1971年 11月13日[8] |
歴史
[編集]エフエム多治見送信所
[編集]周波数 | 放送局名 | 呼出符号 | 空中線 電力 |
ERP | 放送対象 地域 |
放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
76.3MHz | エフエムたじみ 愛称「FM PiPi」 |
JOZZ6AK-FM | 20W | 40W | 多治見市 | 約350,000世帯 | 1998年 10月1日 |
所在地
[編集]- 多治見市大沢町(高社山)
放送エリア
[編集]その他
[編集]岐阜放送多治見ラジオ中継局
[編集]周波数 | 放送局名 | 呼出符号 | 空中線 電力 |
放送対象 地域 |
放送区域 内世帯数 |
運用開始日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1431kHz | GBS 岐阜放送 |
(なし) | 音声100W | 岐阜県 | 90,959世帯 | 1973年 11月1日 |
所在地
[編集]- 多治見市東町(超高温材料研究センター南東)
放送エリア
[編集]歴史
[編集]- 1976年11月1日 岐阜親局と精密同一周波数・完全同期放送を開始。
- 1978年11月23日 周波数を現在の周波数:1431kHzに変更(親局との同期放送は継続)。
- 2002年4月27日、恵那中継局と精密同一周波数・完全同期放送を開始。
脚注・出典
[編集]- ^ a b 東海地区の開局状況(総務省東海総合通信局)[リンク切れ]
- ^ 地上デジタルテレビジョン放送局「多治見中継局」の予備免許(総務省東海総合通信局)
- ^ 地上デジタルテレビジョン放送局(多治見中継局)の免許及び(浜松水窪中継局)の予備免許(総務省東海総合通信局)
- ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修室『NHK年鑑'69』日本放送出版協会、1969年、273頁。
- ^ 中部日本放送『中部日本放送50年のあゆみ』2000年、397頁。
- ^ 東海テレビ放送社史編纂委員会 編『明日をひらく Part2』東海テレビ放送、1989年、183頁。
- ^ 日本民間放送連盟(編)『日本放送年鑑'74』千秋社、1974年、26頁。
- ^ 日本民間放送連盟(編)『日本放送年鑑'72』テレビ企画、1972年、27頁。