山谷─やられたらやりかえせ

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山谷─やられたらやりかえせ』(やま-やられたらやりかえせ)は1985年に発表された日本ドキュメンタリー映画佐藤満夫山岡強一共同監督。また山岡の遺稿集の書名。

概要[編集]

2009年の山谷

日雇い労働者達の過酷な労働と生活で知られる東京都下町山谷を舞台にしたドキュメンタリー作品で、彼らの生活の実態や闘争を描いている。また、釜ヶ崎など他地域のドヤ街の生活も描かれており、労働者(労務者)を描いた作品としては他に類を見ないリアルな作品となっている。

労働者を支援する山谷争議団と、労働者たちの生活に介在していた暴力団及び右翼団体日本国粋会(後の六代目山口組國粹会)系金町一家(現在は落合金町連合傘下)との対立が抗争に発展したのは1983年の事であった。「金町戦」、「金町戦争」と呼ばれたこの抗争では、争議団が街宣車を焼いたり、金町一家西戸組が争議団メンバーの殺害を予告したビラを撒くなど壮絶なものとなった[1]

そして1984年全共闘の闘士であり山谷の闘争にも携わっていた佐藤満夫によりシナリオ案が練られ、撮影が開始された。しかし地元のヤクザに狙われるようになり、その結果1984年12月22日、佐藤は西戸組の組員により刺殺された。映画の冒頭では、字幕の後に、刺された直後の佐藤の映像が用いられている。

撮影は中断を余儀なくされるが、佐藤が遺したフィルムを元に有志により制作上映委員会が発足した。委員会により映画制作は、実際に山谷の労働者で全国日雇労働組合協議会(略称は日雇全協)の創設メンバー山岡強一に託され、翌1985年より1年で映画を完成させる方針の下で制作が再開された。佐藤の腹案にあった釜ヶ崎に加えて笹島名古屋市中村区)、寿町横浜)、筑豊など他地域での撮影も行われ、同年11月ごろには完成し12月には初上映が行われた。

しかし明けて1986年1月13日、今度は山岡が日本国粋会系金町一家金竜組の組員に射殺された。

制作過程において2人の犠牲者を出したこの作品は未だにビデオソフト化されていない。しかし現在も有志の手によって年に数度、都内を中心に全国各地で自主上映会が行われている。また「YAMA-ATTACK TO ATTACK-」の英題で、海外での上映も行われた。

なお山岡の遺稿集は映画の撮影記録の他、多数の論文を収めている。

2020年牧村康正により、当時の関係者の証言を基にした『ヤクザと過激派が棲む街』(ISBN 4065216753講談社)が発表された[1]

スタッフ[編集]

  • 監督:佐藤満夫 山岡強一
  • ナレーション:城之内元晴
  • 音楽:蠱的態(大熊ワタル篠田昌已など)
  • 制作:「山谷」制作上映委員会

脚注[編集]

  1. ^ a b 「ヤクザ 対 過激派」血みどろの抗争が東京で起きたことを知っているか、現代ビジネス、2020年11月25日

関連項目[編集]

2010年の山谷

外部リンク[編集]