山田隆 (プロレス記者)

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山田 隆(やまだ たかし、1933年5月24日 - 1998年9月8日)は、日本プロレス記者評論家東京スポーツ新聞社に所属していた。北海道北見市出身。

来歴[編集]

1959年東京スポーツに入社、1967年9月22日から日本テレビの『日本プロレス中継』で解説者を務める。ターザン・タイラー手錠事件写真を紹介するなど、海外情報知識を生かしたそれまでにはない画期的な解説を取り入れた。ジャイアント馬場との親交が深く、1972年全日本プロレス旗揚げから1980年代末まで長年にわたって『全日本プロレス中継』の解説者を務めた。

特に1981年世界最強タッグ決定リーグ戦の最終戦(蔵前国技館、優勝決定戦)にてスタン・ハンセンが乱入し、ブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組に助太刀した、いわゆるスタン・ハンセン乱入事件の時に山田が発した「ハンセンですよ!」は今でもプロレスファンの語り草になっている[要出典]。また、外国人レスラーとの交流を通じてアメリカのプロレス事情にも精通し、独特のだみ声での語り口調は実況の倉持隆夫アナウンサーとの名コンビで視聴者に親しまれた。

著書に「プロレスの首領」(東京スポーツ新聞社)がある。

1998年9月8日、肝硬変のため死去。65歳没。