中村仙之助

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山田純三郎 (俳優)から転送)
なかむら せんのすけ
中村 仙之助
中村 仙之助
1925年の写真、満41歳。
本名 山田 重三郎(やまだ じゅうざぶろう)
別名義 山田 純三郎(やまだ じゅんざぶろう)
生年月日 (1884-01-13) 1884年1月13日
没年月日 1956年
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区
職業俳優、元歌舞伎役者、元子役
ジャンル 歌舞伎劇映画時代劇剣戟映画サイレント映画
活動期間 1891年 - 1930年
配偶者
主な作品
復讐と女
血煙高田馬場
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中村 仙之助(なかむら せんのすけ、1884年1月13日 - 1956年[1])は、日本の元俳優、元歌舞伎役者、元子役である[2][3][4][5][6][7][8][9]。本名は山田 重三郎(やまだ じゅうざぶろう)[2][4][5][6][7][8][9]だが、山田 重二郎(やまだ じゅうじろう)の説もある[3]。後年は山田 純三郎(やまだ じゅんざぶろう)と名乗った[2][7][8][9]尾上松之助の主演映画をはじめ、横田商会日活京都撮影所の時代劇映画に多数出演、大谷鬼若と共に「敵役の双璧」として知られた[2][7][8][9]

来歴・人物[編集]

1884年(明治17年)1月13日東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区)に生まれる[2][5][7][8]。初期の資料である『花形活動俳優内証話』(杉本金成堂)などによれば、生年は「明治十九年」(1886年)である旨が記されており[3][4]、また『日本映画年鑑 大正13年・14年』(東京朝日新聞発行所)によれば、生年月日は「明治十四年一月十三日」(1881年1月13日)である旨が記されている[6]。実父の山田淺吉は大蔵省の官吏で、実母の山田蔦子は越後国村上藩の元士族の娘という大変裕福な家庭で育った[2][3]。『日本映画俳優全集 男優編』(キネマ旬報)では、それがどうして役者となったか明らかでないとしている[2]が、実際のところ、幼少期から芝居を好み、両親も重三郎の趣味に応じて芸事を習わせていたとされる[3]

1891年(明治24年)、満7歳の時に歌舞伎役者二代目三桝源五郎の門に入り、初舞台を踏む[2][3][6][7][8][9]。その後、間も無く中村仙昇(映画監督築山光吉の実父)の門下に転じ、関西各座に出演する傍ら、三代目中村富十郎五代目市川新蔵らと共に各地を巡業する[2][3][4][5][7][8][9]。1905年(明治38年)、急遽徴兵検査に合格して入隊し、同時期に発生した日露戦争に出陣[2][3]。除隊後しばらくは俳優業に戻らず、鉱山業、炭屋、袋物商など職を転々とした[2][3][6]

1909年(明治42年)、牧野省三の招聘により、尾上松之助主演のサイレント映画を撮影していた横田商会に入社[1][2][3][4][5][6][7][8][9]。『映画新研究十講と俳優名鑑』(朝日新聞社)などによれば、仙之助の映画初出演作品は、映画『西郷隆盛』の隆盛の息子西郷菊次郎役であるとされているが、1911年(明治44年)4月15日に公開された『西郷隆盛西南戦争』をさしているのか、翌1912年(明治45年)4月29日に公開された『西郷隆盛一代記』をさしているのか、詳細は不明である[5][6]。1912年(大正元年)9月10日、同社は福宝堂吉澤商店M・パテー商会との合併で日活になり、撮影所が日活京都撮影所と改称された後も継続入社、尾上松之助ほか、嵐珏松郎嵐亀三郎片岡市之正片岡市太郎嵐秀之助中村小芝(殺陣師兼任)らと共に同所の専属俳優となった[2][3][4][5][6][7][8][9][10]。以降、1921年(大正10年)3月10日に公開された牧野省三監督映画『実録忠臣蔵』などに出演し、特に同所に在籍していた大谷鬼若と共に松之助映画の悪役俳優として大いに活躍する[2][3][4][5][6][7][8][9]。1926年(大正15年)9月11日、松之助が満50歳で急逝した後も、河部五郎大河内傳次郎谷崎十郎など新人スタアの主演映画に、引き続き悪役または老け役として出演した[2][7][8][9]

『日本映画年鑑 大正13年・14年』など一部の資料によれば、京都府京都市左京区南禅寺草川町73番地に住み、趣味は書画骨董陶器であり、得意役は敵役または忠僕と云ったものである旨が記されている[5][6][7][8]

昭和初年、勤続功労者として實川延一郎と共に技芸部最高の待遇である理事に任命される[2][9]。また、1927年(昭和2年)には芸名を山田純三郎と改名し、脇役出演を続けた[2][7][8][9]。ところが、1930年(昭和5年)4月1日に公開された池田富保監督『元禄快挙 大忠臣蔵 天変の巻・地動の巻』に出演したのを最後に日活を退社、芸能界からも引退した[2]。映画出演数は1000本以上に及んだ[2][9]

引退後は、京都府京都市左京区川端三条で夫人と共に料亭を開いていた[10]ほか、自身の趣味を活かして好きな骨董商を経営していた[2]。『日本映画俳優全集 男優編』では、以後の消息は述べられておらず、また、同書が発行された1979年(昭和54年)10月23日の時点では既に死去したものとされている[2]が、『讀賣新聞』1957年(昭和32年)9月25日付より、晩年のマキノ光雄が連載したコラム「スターとともに」において、去年1956年(昭和31年)に数え年73歳(満72歳)でこの世を去ったという旨が記されている[1]

逸話[編集]

渾名は「鉛の天神さん」[2]。日活の奇人として知られ、撮影所内において数多の逸話を残している。以下、晩年のマキノ光雄が『讀賣新聞』に連載したコラム「スターとともに」などを参照[1][2]

  • 1928年(昭和3年)9月27日に公開された池田富保監督映画『維新の京洛 竜の巻 虎の巻』の撮影時、元福岡藩平野国臣扮する仙之助は、牢の中で座っている役柄だったが、撮影の都合上、牢の横で他の共演者の芝居を最初に撮る事になり、それから牢中の仙之助に寄る予定であった。ところが、他の共演者の芝居が一区切りついたところで昼飯という事になり、助監督の「ゴハンですよ」の声で全員セットから出て行き、照明係は全てのライトを消してしまった。それから一時間ほどして、当時助監督であった渡辺邦男が、午後の撮影準備のためにセットに入ると、ライトは消えて常夜灯だけがついている中に、仙之助が一人牢の中で正座しており、仙之助は渡辺を見るや「これこれ渡辺君、ゴハンはまだか」と言った。また、渡辺は「あの、先生はあれからずっと」と聞くと、仙之助は「ああそうだよ、仙之助さんゴハンですとだれもいわんからな」と言った。
  • 同年3月15日に公開された伊藤大輔監督映画『血煙高田馬場』の撮影時、主演の大河内傳次郎扮する中山安兵衛に対し、仙之助は大敵役中津川祐範を熱演した。同作のクライマックスである敵討ちの場面において、仙之助は得意の薙刀を水車のように振り回して大活躍だったが、どうした事か大河内傳次郎扮する堀部安兵衛にいくら斬られても「まだまだ!」と言って倒れず、長いチャンバラが続いた。おまけに、振り回す薙刀は一段とさえ、遂には大河内扮する安兵衛が一歩一歩追いやられる有様であった。堪り兼ねた伊藤は「仙やん死なんかい」と声をかけるが、どうしても死ななかった為、仕方なく仙之助扮する祐範の死ぬ場面は省略された。その後、伊藤が「何故死ななかった」と質問すると、仙之助は「オレを殺せる役者は松之助以外ないワイ」と言った。

出演作品[編集]

日活京都撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「日活京都撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画、全て「中村仙之助」名義である。

日活大将軍撮影所[編集]

特筆以外、全て製作は「日活大将軍撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画、全て「中村仙之助」名義である。

日活太秦撮影所[編集]

全て製作は「日活太秦撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画、特筆以外は全て「中村仙之助」名義である。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 『讀賣新聞』昭和32年9月25日付、4頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 『日本映画俳優全集 男優篇』キネマ旬報社、1979年、421-422頁。 
  3. ^ a b c d e f g h i j k l 『花形活動俳優内証話』杉本金成堂、1918年、65-67頁。 
  4. ^ a b c d e f g 『人気役者の戸籍調べ』文星社、1919年、156頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i 『映画新研究十講と俳優名鑑』朝日新聞社、1924年、160頁。 
  6. ^ a b c d e f g h i j 『日本映画年鑑 大正13年・14年』東京朝日新聞発行所、1925年、131頁。 
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本映画俳優名鑑 昭和四年版』映画世界社、1928年、80頁。 
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日本映画俳優名鑑 昭和五年版』映画世界社、1929年、103頁。 
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m 『日活の社史と現勢』日活の社史と現勢刊行会、1930年、142頁。 
  10. ^ a b 『人物・日本映画史』ダヴィッド社、1970年、76-85頁。 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]