山桜神社

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山桜神社
所在地 岐阜県高山市本町2丁目65
位置 北緯36度8分31.54秒 東経137度15分27.36秒 / 北緯36.1420944度 東経137.2576000度 / 36.1420944; 137.2576000
主祭神 山桜(馬) 馬頭観音
創建 江戸時代初期
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山桜神社(やまざくらじんじゃ)は、岐阜県高山市にある神社である。鎮火、火の用心、家内安全、無病息災、商売繁盛、交通安全にご利益があるという。地元では「馬頭さま」と呼ぶ。毎年8月1日~15日には「馬頭の絵馬市」が開催され、にぎわう。

境内の火の見櫓は、1854年嘉永7年)に火消しの「馬頭組」が建設されたもので、1878年明治11年)頃再建し、1936年昭和11年)に現在地に移転したもので、木造鉄板板ぶきの三層構造である。2007年(平成19年)に国の登録有形文化財に登録されている[1]

概略[編集]

  • 祭神の山桜とは、江戸時代初期に実在した馬の名前である。飛騨国大野郡小八賀郷池之俣村(現・高山市丹生川町)の野生の馬で、高山城城主金森頼直に献上され頼直の愛馬となる。1657年明暦3年)の明暦の大火では、高山藩の江戸屋敷が火に包まれてしまったのを、山桜は百間堀を飛び越えて、頼直を救ったという。言い伝えでは、頼直と家臣3人の計4人を一度に乗せて走ったという。
  • 山桜はその功績により、晩年は中向町(現在の高山市本町2丁目)に厩舎をあてがわれた。山桜が死亡すると遺骸は火葬にされ、松倉山の山麓に葬られた。この厩舎の跡には社殿が建てられ、山桜神社として創建される。創建時期ははっきりしていないが、金森頼直の生前と伝えられており、1657年(明暦3年)~1665年寛文5年)と推測される。
  • 山桜は江戸から高山に戻った際、病気にかかってしまったという。山桜の病気は松倉城城主の姉小路氏の祟りとされ、松倉城跡付近の松倉大悲閣(通称・松倉観音)に元々祀ってあった馬頭観音(普段は飛騨三十三観音霊場素玄寺に祀ってある)を修復したところ山桜の病気が治ったという。
  • 1936年昭和11年)、境内の拡張と社殿を改築する。このさい、火の見櫓を境内に移築する。

祭神[編集]

  • 山桜

所在地[編集]

  • 岐阜県高山市本町2丁目65

交通機関[編集]

馬頭の絵馬市[編集]

  • 毎年8月1~15日に、山桜神社で開催される絵馬市である。戦後より始められている。
  • 和紙に描いた「紙絵馬」と、板に描いた「板絵馬」の2種類があり、描かれている絵は勢いよく駆ける馬や、背中に財宝を入れた袋をのせた馬などがある。馬の頭の向きが左向きと右向きがあり、家の壁に貼る。玄関などの入り口に頭を奥に向けて張ると祈願が叶うという。名馬の山桜にちなんで、絵馬は1円=1万両の単位で売られる。
  • 牛馬安全、養蚕安全、家内安全、商売繁昌、火の用心、交通安全などにご利益があるという。
  • 馬頭観音を祀った松倉大悲閣(松倉観音)でも「松倉の絵馬市」が開催される。こちらは江戸時代から続く市であり、普段は素玄寺祀られている馬頭観音が松倉大悲閣に戻される期間(8月8日~10日)の開催である。

脚注[編集]

  1. ^ 山桜神社火の見櫓”. 岐阜県. 2013年4月20日閲覧。