小川全勝
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小川 全勝 | |
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生誕 |
1889年6月12日 日本 鳥取県 |
死没 | 1966年12月10日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
小川 全勝(おがわ ぜんしょう、1889年(明治22年)6月12日[1] - 1966年(昭和41年)12月10日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
[編集]1889年(明治22年)に鳥取県で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期卒業[1]。1938年(昭和13年)3月10日に独立守備歩兵第2大隊長に就任し[2]、7月15日に陸軍歩兵大佐に進級し[2]、1939年(昭和14年)3月に秋田連隊区司令官に転じた[2]。1940年(昭和15年)3月に歩兵第140連隊長(北支那方面軍・第110師団・歩兵第108旅団)に就任し[2]、日中戦争に出動[1]。京漢線沿線の守備を主務としつつ[1]、晋察冀辺で討伐戦を行った[1]。
1941年(昭和16年)11月に第54師団司令部附となり[2]、1942年(昭和17年)10月に松江連隊区司令官を経て[2]、1944年(昭和19年)12月に歩兵第69旅団長(第20軍・第64師団)に就任し[2]、中国戦線に復帰[1]。揚州周辺の警備に就いたが[1]、1945年(昭和20年)1月21日の戦闘中に戦傷を負った[1]。1月26日に中部軍司令部附となり[3]、中部軍管区司令部附を経て[4]、3月1日に陸軍少将に進級し[2]、3月31日に松江連隊区司令官兼松江地区司令官に就任した[4]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。