寂然

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
寂然 / 藤原頼業
時代 平安時代後期
生誕 元永元年(1118年)頃[1]
死没 不明
改名 頼業→寂超
別名 号:唯心房
官位 従五位下壱岐守
主君 近衛天皇
氏族 藤原北家長良
父母 父:藤原為忠
兄弟 為盛為業寂超寂然、兼豪、忠宴、昌忠、藤原光房室、藤原俊成室、
平忠盛室?
テンプレートを表示

寂然(じゃくせん/じゃくねん)は、平安時代後期の貴族歌人。俗名は藤原 頼業(ふじわら の よりなり)。藤原北家長良流、丹後守藤原為忠の四男。官位従五位下壱岐守。(諸説あり不詳)

経歴[編集]

元永年間(1118年 - 1119年)の生まれとされる。崇徳朝にて東宮・躰仁親王(のち近衛天皇)の蔵人左近衛将監を務める。康治元年(1141年従五位下叙爵し、翌康治2年(1142年)に壱岐守に任ぜられる。

遅くても久寿年間(1154年-1156年)に出家大原に隠棲した。法名を寂然と称し、同じく出家した兄弟の寂念寂超と共に大原三寂常盤三寂と呼ばれた。西行とは親友の間柄であったと言われている。また、各地を旅行して讃岐国に流された崇徳院を訪問した事もある。寿永年間には健在であったとみられるが晩年は不詳。(諸説あり不詳)

人物[編集]

和歌に優れ私撰集に『唯心房集』『寂然法師集』『法門百首』があり、『千載和歌集』以下の勅撰和歌集に47首が入首。強い隠逸志向と信仰に裏付けられた閑寂な境地を切り開いた。また、今様にも深く通じていた。(諸説あり不詳)

官歴[編集]

出典[編集]

  • 井上宗雄「常磐三寂年譜考」『国文学研究 21』早稲田大学国文学会、1960年

脚注[編集]

  1. ^ 井上宗雄「常磐三寂年譜考」『平安後期歌人伝の研究』笠間書院、1978年
  2. ^ 『関戸家本唯心坊集巻首』
  3. ^ a b 『本朝世紀』