安宅町

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安宅町
—  町丁  —
安宅町の位置(石川県内)
安宅町
安宅町
安宅町の位置
座標: 北緯36度24分52.13秒 東経136度25分23.53秒 / 北緯36.4144806度 東経136.4232028度 / 36.4144806; 136.4232028
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Ishikawa Prefecture.svg 石川県
市町村 Flag of Komatsu, Ishikawa.svg 小松市
校下 安宅校下
人口 (2018年(平成30年)4月1日現在)[1]
 - 計 2,672人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 923-0003[2]
市外局番 0767 (七尾MA)[3]
ナンバープレート 石川
安宅町
廃止日 1940年12月1日
廃止理由 新設合併
安宅町小松町牧村板津村白江村苗代村御幸村粟津村 → 小松市
現在の自治体 小松市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 石川県
能美郡
隣接自治体 石川県:
能美郡牧村根上町
安宅町役場
所在地 石川県能美郡安宅町
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安宅町(あたかまち)は、石川県能美郡に存在した。および、現在の小松市の町名。

この地名は、この地が「異国人が来襲した海岸」という意味からなる「寇が浦」(あだがうら)に由来するとされている。

地理[編集]

  • 現在の小松市の西部で、日本海に面し、梯川の河口周辺に位置。安宅港を中心に発展、当初中心集落は梯川の東岸に位置した。梯川の両岸を住吉橋が連絡している。
  • 明治時代末期の町内は、海岸の砂浜などの針葉樹林が広範囲を占めていた。現在も松林が多く残る。町の南部にはなど農耕地も存在した。
  • 江戸時代から発展していた海運業が、鉄道の開通などにもよって衰退したこともあり、北前船主であった米谷半平がこの地にて1891年(明治24年)、米谷銀行(後に加能合同銀行)を創立[4]。現在の北國銀行の前身である。また、大正から昭和初期にかけては繊維工業も行われていた。

歴史[編集]

  • 1712年正徳2年) - 安宅村から安宅町に改称。小松奉行の支配下となる。江戸期の本町内の町名には網町、川端町、北浜町、米屋町、長田町、浜町、東町、札之木町、山王町の各町が存在。
  • 1872年明治5年) - 再び安宅村と改称。
  • 1875年(明治8年) - 勝楽寺内に安宅小学校を開校。翌年1876年(明治9年)、専用校舎を開設。
  • 1886年(明治19年) - 再び安宅町と改称。
  • 1889年(明治22年) - 町村制施行により、能美郡安宅町となる。
  • 1940年昭和15年)12月1日 - 当町と小松町牧村板津村白江村苗代村御幸村粟津村が合併し、小松市が成立。当町は小松市安宅町となる。
  • 1947年(昭和22年) - 小松市立丸内中学校安宅教場を設置。
  • 1953年(昭和28年) - 安宅町保育所を設置。
  • 1963年(昭和38年)4月 - 小松市立丸内中学校安宅教場閉校。
  • 1978年(昭和53年)4月 - 小松市立安宅中学校開校。

世帯数と人口[編集]

2018年(平成30年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
安宅町第一 122世帯 314人
安宅町第二 106世帯 245人
安宅町第三 218世帯 465人
安宅町第四 92世帯 236人
安宅町第五 27世帯 73人
安宅町第六 165世帯 425人
安宅町第七 133世帯 319人
安宅町第八 109世帯 284人
安宅町第九 120世帯 311人
1,092世帯 2,672人

交通[編集]

※現在のもの

バス路線[編集]

  • 小松バス
    • 安宅線:木曽町、安宅関跡前、安宅、安宅出町、安宅漁港 各停留所

教育[編集]

周辺施設[編集]

神社仏閣[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 平成30年町別人口及び世帯数”. 小松市 (2018年4月1日). 2018年4月30日閲覧。
  2. ^ 郵便番号”. 日本郵便. 2018年4月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年4月30日閲覧。
  4. ^ 『北国銀行四十年小史』 (北国銀行, 1983)