天方通興
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 永正15年(1518年) |
死没 | 慶長元年(1596年) |
別名 | 四郎三郎、三河守、山城守(通称) |
主君 | 今川義元→ 氏真→石川数正→徳川家康 |
氏族 | 天方氏 |
父母 | 父:天方通稙 |
兄弟 | 通興、通永、白幡通供、通秋 |
子 |
青山忠成室、通之、酒井重勝室、通綱 養子:通直 |
天方 通興(あまがた みちおき)は、戦国時代の武将。通称は四郎三郎、三河守、山城守[1][2]。
略歴
[編集]天方通稙の子。今川氏に属し、今川氏真が没落した後に石川数正に就いて徳川家康に仕えた。
天正2年(1574年)遠江国犬居城を攻める際、大久保忠世に属して案内者を務めた[2]。
子に天方通綱がいる[2]。通綱は切腹の命を受けた家康の嫡子信康の検視役を命じられた。しかし、信康自刃に際し介錯を頼まれた服部正成がその任に堪えきれず、代わって通綱が信康の介錯をした。のちに信康介錯のことをはばかって高野山へ出奔した。通興は天方家の存続をはかるため、青山忠成の五男で外孫の通直を養子にした。
参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜 13』(続群書類従完成会 、1965年、318p)