大関増昭
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天保5年10月20日(1834年11月20日)[1] |
死没 | 安政3年2月25日(1856年3月31日) |
改名 | 吉之助(幼名)→増昭 |
戒名 | 隆徳院殿憲文広武大居士 |
墓所 | 栃木県大田原市の大雄寺 |
官位 | 従五位下・信濃守[1] |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶→家定 |
藩 | 下野黒羽藩主 |
氏族 | 大関氏 |
父母 | 父:大関増儀 |
兄弟 | 綱一郎、増昭、於鉱(大関増裕正室) |
妻 | 正室:戸田忠温娘・恵美栄 |
子 | 養子:増徳(青山忠良五男) |
大関 増昭(おおぜき ますあきら)は、江戸時代後期の大名。下野国黒羽藩13代藩主。
天保5年(1834年)10月20日、12代藩主・大関増儀の次男として生まれる。天保13年(1842年)12月23日、長兄・綱一郎が早世したため世子に指名された[1]。弘化5年(1848年)2月21日に父が隠居したため家督を継ぎ、嘉永元年(1848年)12月16日に従五位下・信濃守に叙任された[1]。
嘉永3年(1850年)2月2日に大阪加番に任じられている。安政3年(1856年)2月25日、江戸の湯島天神にあった下屋敷で死去した。享年23。
跡を養子・増徳が継いだ。
系譜
[編集]父母
- 大関増儀(父)
正室
- 恵美栄 ー 戸田忠温の娘
養子
脚注
[編集]出典
[編集]- 『大関黒羽家譜』[要文献特定詳細情報]